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デジタルとアナログの間を行ったり来たり

女について考えていたら

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「奥山さんはまるでマグダラのマリアみたいだった!」

 ダンス公演後にファンが熱く感想を語るのを耳にしたとき、筆者の頭上には「それ、誰だろう」と疑問符がぽわんぽわんと回っていた。その時点から謎の人物の名前が記憶に刻まれた。

 初めて姿を見たのは後に「美の巨人たち」で放映されたジョルジュ・ラ・トゥール作「常夜灯のあるマグダラのマリア」だった。これがきっかけとなり「マグダラのマリア」など関連書籍にも手を伸ばし、いろいろと思いをめぐらせている。

 まだよく分からないが、マグダラのマリアとはとらえどころがなく、当初は複数の逸話が混合したのかと思えた。娼婦とするのか聖女とするのか、さげすみたいのか持ち上げたいのか、人物像に一貫性がないように思えたからだ。

 聖母マリアが母の象徴なら、マグダラのマリアは男女関係における女の象徴のようにも思う。もしかして語る側に葛藤(かっとう)があるのだろうか。社会(主に男性)が戦略として女性をどう扱うべきなのか迷っているかのようにも思えた。

 知識を少し得た後に冒頭の比喩(ひゆ)に戻ると、確かに的を射ている。筆者も心酔するH・アール・カオスのことだ。中心の白河直子さんは中性的だが、対照的に奥山由美子さんは女性らしさ全開となる。長い髪を揺らし優雅に浮遊しながら踊る。時には甘くささやくように、また時には嘆き悲しむ。確かに、マグダラのマリアはいいたとえだ。

 ついでに飛躍するが、女性像を考えるときディズニープリンセスの存在もあなどれない。異なる6つの物語からヒロインのみ結集させたユニットは実に興味深い(っていうか、いつの間にか一人増えてる!)。彼女らのウリは人生の試練を克服した女性だということだ。女の生き方として比較するとなかなか面白い。

 こんなことを考えるのが好きな筆者なので「ダ・ヴィンチ・コード」は予想以上に面白かった。近年はめっきり小説を読まず、芸術品と謎解きには興味がわいたが「文庫が出たら読もうかな」くらいにしか思っていなかった。だが先日雑誌で映画版のことを紹介した記事があり、映画を観る前に原作を読もうと決めた。ついでに「アメリ」のオドレイ・トトゥ出演も目をひいた。

 読み始めたらすっかり夢中になり、夜通し読んでしまった。今は読み終わってしまい、なんだかさみしいくらい。

ダ・ヴィンチ・コード (上)
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