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外資系金融機関を担当する経営コンサルタントの活動記録 ~ プライスウォーターハウスクーパースの高橋正敏です。

平和祈念式典

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毎年86日に行われる広島の平和祈念式典が本日もつつがなく行われました。私は子供の頃からこの式典についての関心が高くて、テレビで毎年観てきました。また、社会人になってからは、大学時代の友人が広島へ転勤になったのをきっかけに、彼に会いがてら、この式典に参加したこともあります。

戦争や紛争は依然、世界のどこかで起こり続けています。そのせいか、世の中には、戦争や平和に関する色々な式典があります。でも、ここで毎年行われる式典は日本人的で、シンプルで、静粛で、私にとっては、とても心が落ち着くものです。アメリカの9.11関連の演説やグラウンドゼロ建設のときのように、「テロと戦おう」とか、「悪の枢軸は叩かなくてはいけない」みたいに敵(仮想敵)を名指しして愛国心を鼓舞するようなものよりも、こうして静かに戦争当時のことを思い出し、語り、平和を願って、挨拶して終わらせる、そういうタイプの式のほうが心に染入るような気がするのです。

広島原爆公園の碑文に「二度と過ちは繰り返しませんから」と言う言葉があります。この文章はビジネス的には失格で「誰が」「どういう過ちを」「誰に」繰り返さないと言っているのかがわからないではないか、とよく言われます。確かにそのとおりなのですが、日々ビジネス環境に身をおいていると、たまには、こういう書き方をすることがあってもいいな、と私は思います。

私が原爆公園を訪れ、この碑文を読んでいたとき、世界中のひとがきてお祈りしていました。ここへわざわざ来るということは平和に対する関心が高いひとであると言えます。そういうひとがこの文章を読むと、「過ち」を自分の解釈でとらえ、考えることができます。

「祖国アメリカは核を根絶させる責任があるな」とか、「核の被害は日本人だけではない、韓国人被爆者もいるんだ」とか、「自分たちは反戦を貫かなくてはいけない」とか、それぞれあっていいのです。だからこそ敢えてこの文章に主語も目的後も入れていないのではないか、と思います。

以前、「原爆のおかげで戦争が早く終わったんだろ」と言ったアメリカ人を、泣くまで罵倒したことがある私ですが、ある意味、それもひとつの考え方かもしれません。しかし、日本人にとって、夏は戦争を語り継ぐ季節であっていい。生き残った者、命を継承した者から、命を失った方々のためにも、できるだけ長く語り継ぎたいものです。

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