アメリカ車が本当は好きだった
イタリア自動車大手フィアットとの経営統合をソリューションセットのひとつにしつつ、クライスラーの破綻処理が行われています。また、ゼネラルモータース(GM)のChapter 11申請も秒読みのように報道されています。いずれにしてもアメリカ自動車業界は世界不況の象徴のように扱われていて、個人的には非常に寂しい思いをしています。
日本では若年層が自動車を持たなくなったとか、自動車業界がハイブリッド車などの環境技術競争をしているといった話題になっていて、成熟社会らしい様相を呈しています。それは正しいし、どんどんそういった競争をしてもらいたい。しかも日本の得意領域だと思うと、PI(プリウス・インサイト)戦争などは、世界に誇りたくもなります。それに、消費者としては、お金もないのに無理して自動車に乗る必要もないし、見栄を張って外国製の高級車に乗る必要もない。それは正しい消費行動だとは分かっています。
でも、子供のころから乗り物が大好きだった私は、やはり自動車には夢とロマンがあると思うし、且つ、多少は不良っぽさといいますか、かっこよさという要素があっていいとも思うのです。
爆音たてて、ガソリンを無意味に消費するような自動車は論外だし、危険な運転などは大嫌いな私ですが、自動車開発競争のなかに、「デザイン」や「粋」、「驚き」と言った要素は何とか残してもらえないかなあ。美しいデザインの自動車は多くありますが、何だか綺麗すぎるようにも思えます。環境技術競争とこれらの要素は共存できると思います。
先日写真を整理していたら、若かりし頃?の写真が出てきて、アメリカ自動車業界のネガティブな状況を見つつも、ああ、こういうのに乗っていたころは楽しかったなあ、と思った次第です。