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復興祭で合わさる力!(週末だけの東北震災ボランティア5回目)

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週末だけの東北震災ボランティア行きも、何とか5回目を達成。
同じ町並みや風景を幾度となく見て通る中、被災地で何度か会って挨拶する人も現われています。人々を身近に感じ、現地ニュースが以前に増して気になってきています。

今回もレーベンボランティア復興バス(レーベンコーポレーション/筑波)に参加。初めての人が半分以上を占めており、家族連れあり、定年を間近に控えている人あり。今回は三連休と重なり、1日目の作業後に半数以上は帰途につき、リピータを中心に20名程度が残り現地で1泊。その翌日は被災地の復興祭のお手伝いとなりました。

津波で孤立した町(9月24日@陸前高田市小友町/1日目)

 小友町は小さな半島状で、震災後の津波がその両側から押し寄せ、一時的に孤島となった地区。バスを停車した市立小友小学校は、小高い丘の上にあるにもかかわらず校舎も体育館も半壊状態。

 1日目の作業は、その小学校とその隣にある中学校から少し坂を下った田んぼでカマで草刈り作業、および瓦礫(ガレキ)と土砂で埋まった側溝をスコップやツルハシで掘り起こす作業。夏を過ぎて気候が涼しいのは嬉しかったのですが、私は側溝掘りを頑張りすぎたのか運動不足なのか、夕方には体中が筋肉痛に。

 ボランティアセンターの説明員は、石コロがあったら田んぼじゃないとか説明していましたが、雑草や瓦礫(ガレキ)、石コロに、アスファルトの残骸も含まれ、繰り返しの作業が必要かも知れません。ただ後に Youtube で拾った映像を見つけ、それでも改善されている様子に驚きました。

Youtube 東日本大震災 津波1ヶ月後の陸前高田市小友周辺2 (14秒付近が同じ場所と思われます)

心暖まる雰囲気のボランティア基地

 作業を終えて宿泊組は、ボランティアセンターから車で約30分程の場所にある災害ボランティア住田町基地に宿泊。住田町の人たちの好意で、小学校跡地が開放されており、木造の匂いも優しい雰囲気。夜は少し冷え込む中、私たちは施設内教室の1教室で寝袋にくるまって寝床。

 住田町基地は国内各地から集まっているボランティアや、ボランティアセンターで働く人達が集まって宿泊していました。調理室があって朝食など自炊していた人もあり、校庭にテントを張って寝る人もあり。短い滞在だったのですが、心温まりつつ休息できた不思議な場所でした。

復興祭で合わさる力 (9月25日@大船渡市末崎町/2日目)

 翌日は大船渡市末崎町の末崎小学校に移動。規模は小さいものの住民自身による復興祭で、体育館では落語や踊りなどが行われていました。すぐ校舎の脇にある校庭および野球場には仮設住宅が所狭しと立ち並びます。

  私達レーベン隊は、バスをキャンバスにしたメッセージ企画。メッセージを書いてくれた人に、花(伊豆からの支援協力)やカレンダーをプレゼントするというもの。皆集まってくれるものなのかなと心配していたところ、はじまってみると大盛況。あっという間の復興祭でした。

 画像は各地をまわる書画家「田中太山」さんによるワークショップ。左右の看板には「世界にひとつの表札をつくります」「今日もよいことありますように。明日もよいことありますように。」と書かれています。地味になりがちな仮設住宅を飾ることを意識しての、表札ワークショップだったのかも知れないと、一部で話題になっていました。

 他にも600越えの炊き出しとなった有名シェフ率いる炊き出しチームの「Team TAKI-Volunteer」さん。特設ステージを設けて盛り上げる地元の末崎町カラオケ同好会さん、移動車で本格的な写真撮影をしていた某フィルムスタジオさん、詳細不明の小田和正コピーバンドさんなど。様々な方々が支援や協力する姿をみて、胸が熱くなってしまった復興祭でした。

 せめて被災した方々には、その不幸を埋める以上の幸福が待っていますように。
 非力ながら、そのように願っております。

追記 2012年1月5日
ボランティアバス運営の価値観の違いから、2011年末に私が乗車していたときのリーダ役達はバスを降りて別団体を立ち上げており、現在のボランティアバス運営とは内容が異なる可能性があります。念のため追記させていただきます。

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