さようなら僕らのグーグルOrkut
■ 日本のスタートアップ企業を魅了し、衝撃的だったグーグルOrkutの登場
時は2004年初、グーグルがソーシャルネットワーキングに出たと言うので渋谷はビットバレーのスタートアップ企業の皆さんは色めき立っていました。その前に米国のフレンドスターから参加の招待状が来て「米国の新しいフォーラムのサービスを真似て日本版を立ち上げるかどうか」噂が乱れ飛んでいた状況でした。「あのグーグルがネットコミュニティのサービスに出た!!」、「グーグルOrkut が出た!!」と言う衝撃は、小さな渋谷界隈にたむろするスタートアップ企業群にとって、今で言うアップルのアイウオッチの発表位大きな衝撃でした。その結果、2004年にはミクシィ、グリー、エコー(後にゆびとまと合併)、UUME、キヌガサ(元都知事選挙立候補者家入一真さんの立ち上げたサービス)、フレンドマップ、ビジネスマッチングのトモモトなどが立ち上がり、日本も和製SNSの時代に突入しました。それはグーグルのサービスとSNS、後から叫ばれるクラウドコンピューティングの登場と合わせて「Web2.0」の時代、「向こう側とこっち側」と言うWeb進化論の時代まで続きました。その頃がパソコンに基礎を置くWebサービスのピークですね。
2004年の正月に、筆者も仲の良かったQ&AコミュニティのOKWAVEなどを訪ねたら、必ず「Orkut」どう思うかと言う質問をされたのを思い出します。
またグーグルがOrkut立ち上げに「ゴー」サインを出したのはフレンドスター(当時のトップSNS)買収に失敗した事情があります。Orkutは2004年4月、グローバルな参加者数40万人、10月2千万人と急成長しました。
■ 新鮮な招待制、友達のランク付け
当時トルコ出身の若干28歳のオーカット・ブヨコッテンさんはグーグルの20%ルール(社員が自由に創造性を発揮し、自ら実行したい新しい仕事にチャレンジする一種のアンダーグラウンド研究制度、スリーエムや製薬業界では盛ん)を利用してSNSを研究しており、それを形にしたのがOrkutでした。
招待制限定(招待されない限り参加できない制度)や友達の信頼度のランク付けなど非常に新鮮な仕組みでした。
この招待制度はミクシィ、グリーなどUUMEを除く殆どの和製SNSに採用され、招待されない人々は「ミクシィ八分」にされたと嘆いたものでした。SNSサイトmixiに参加する権利を得ることができない状態のことを意味します。
■ 最高の盛り上がりは2006年、そして没落へ
立ち上げ当初から何故かブラジルからの参加者が多かったのですが、その後インドなどでも最も普及したSNSとなり、フレンドスター没落後の2006年には、一時マイスペースに続いて参加者数2位となりました。しかしこの頃がOrkutの花の時期であり、先進国ではぱっとしませんでした。
そして2009年頃からフェイスブックのブラジルやインド進出が始まり、次第におされ気味になります。そして2012年フェイスブックのマーク・ザッカーバーグさんのブラジル訪問をきっかけとしてブラジルで逆転を許します。また2011年グーグルはグーグル+の立ち上げに成功しました。
■ 2014年9月サービス中止宣言
グーグルはOrkutのサービスを9月に中止すると宣言しました。確かに先進国では目が出なかったものの、あのグーグルの数学民主主義の文化の中で初期のソーシャルネットワークが10年も生き延びたことは奇跡に思えてなりません。
あのシンプルな初期の画面がとっても懐かしいです。そして国内のソーシャルメディアの発展に大きな貢献をしたことも当時を知る人々の記憶に長く残るでしょう。
そして時代はOrkut などに代表されるパソコンとWebを基本としたWeb進化論の時代は終わり、総合サービス型のフェイスブックに衰えがみられ始め、モノのインターネットを背景にLINE型のメッセージサービスが台頭しています。またWeb型サービスも総合型の時代は次第に終焉し、専門的なプロフェッショナルネットワークの時代へと移行し始めています。
さようなら、僕らの・・・さようなら僕らのグーグルOrkut!!
感動と日本のスタートアップ企業への多大な貢献を有難う・・・・涙)
Orkut and your Groups of Friends(動画)
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<出所:Readwriteweb>
<出所:テッククランチ>
★★ Google Will Shut Down Its Orkut Social Network In September