スマート革命と変化の早さ、KPCB講演に見るフェースブック活用が減少し、インスタグラムよりスナップチャット、YouTubeよりVineが伸びる訳!!
<序文>
ウオール・ストリート・ジャーナル紙の関連ブログであるallthingsD主催のD11 会議において恒例のアナリスト、メアリー・ミーカーさん(現在はKPCBに在籍している)のインターネットトレンド2013講演が行われました。詳細は以下のiTmediaの記事が述べているので省略しますが、筆者が驚かされたのはスマートデバイスに関する米国の若者の変化の早さです。
多くの伝統的なソーシャルメディアが更に成長する中、最大手のフェースブックだけが活用率を落としています。そして昨年最も成長し、フェースブックによる買収で注目されていたインスタグラムに代わって自動消滅写真のスナップチャットが急成長です。またYouTubeも伸びていますが6秒動画のVine(ツイッターが買収)が圧倒的に急成長です。
スマート革命の進展の中、変化=ソーシャルメディアの新旧交代はまるで平家物語の絵巻物のようにめまぐるしく起こっています。
若者に見放されたソーシャルメディアは、現在いかなる栄華を極めていようとも早晩、新聞や地上波テレビと同じ運命をたどるものも多いのかもしれません。
★ ★ KPCB’s Mary Meeker: The Full D11 Interview (Video) (講演動画)
★ ★ オンラインで共有される写真は1日当たり5億枚に──KPCBの「2013 Internet Trends」
★ ★ 2013 Internet Trends (講演スライド)
写真の投稿の中心は青のフェースブックだが、緑のインスタグラムが断然、伸びている。尚、オレンジはインスタグラム
スナップチャットの伸び
Vineの急成長!!
フェースブックだけが活用率を減らしている
<出所:KPCBメアリー・ミーカーさん講演の公開スライド>
<カジュアルシフトとプライバシー規制回避の徹底>
メアリー・ミーカーさんは、2013年には一日5億枚の写真が投稿されていると述べました。2014年にはその数が倍増するそうです。またその主体はフェースブックですが、10秒以内で自動消滅する写真(動画もあり)のスナップチャットが急成長していると述べています。また写真ツイッターのインスタグラムも一定程度、伸びています。しかしスナップチャットが圧倒しています。
昨年は写真といえばインスタグラムでした。そしてフェースブックによる買収が大注目でした。
一方動画に関してはYouTubeも伸びていますが、ツイッターに買われた6秒動画のVineが伸びています。(きっと韓国のサムスン電子はこれにヒントを得て、写真と一言の音声メッセージの仕組みをギャラクシーS4に入れたんですね。)
さてここからが筆者の感想ですが、この後ろには文字すら打たないで写真や日本で言えばスタンプに物語を語らせる新たな自己表現=カジュアルシフトがあると考えられます。また若者は同時に実名公開などパソコン時代のソーシャルメディアの現実社会への過剰適応(若者から見れば一種の社会的抑圧)に嫌気が差しているのでしょう。親に投稿を見られるのは嫌だとか、就職時に昔の馬鹿をやっている写真に祟(たた)られるのは嫌だと言う一種のプライバシー規制回避と考えられます。米国では多くの若者(10%程度)がフェースブックなどへの書き込みで就職に影響したと答えるなど公開型ソーシャルメディアのマイナス面が広く認識され始めています。
これがミッションインポッシブルのように自動消滅するスナップチャットや6秒動画のVine、更に4億人参加のWechatのようなプライベートなメッセージサービスアプリに若者を走らせる理由だと思われます。
★★ Facebookers, beware: That silly update can cost you a job
<現実社会に過剰適応したフェースブックだけが活用率が下がっている>
既に述べたように実名公開型のフェースブックは、2008年のオバマ大統領選挙などを通じてインターネットの社会への定着を促進しました。これは一時実名主義の成果として国内でも大変高く評価されました。
しかしその一方フェースブックによりインターネットが余りに社会に適合し過ぎた為、自由な自己表現を求める若者、様々な規制を嫌がる若者のニーズとぶつかり始めています。社会を変えようとか自由な自己表現をしたいと言った若者の変革エネルギーの意味は、故スティーブ・ジョブズ氏が「ヒッピー、ハッカー、コミューンでの生活、更に大学のドロップアウト」と反体制のエネルギーを爆発させて社会に反抗した後、極めて創造的な経営者に自己変革した事例に見ることができます。そこまでいかなくてもちょっと馬鹿やりたい、親や大人など周りにうるさく言われたくないと言う欲求を若者は持っています。
こう言った大なり小なりカウンターカルチャーの要素を持つ若者の不満を表現する場を提供しないとソーシャルメディアは若者にとって存在価値がありません。(筆者は2チャンネルのことを礼賛しているのではありませんから、念のため)また社会を進歩させるエネルギーも出てきません。そうなれば社会は精神的な高齢化が進み、かつての英国、スペイン、ポルトガルのように化石化します、
そう言う文脈の中で社会に適合しすぎたフェースブックが次第に「若者の健全な反応」に見放され始めていると考えられます。
ソーシャルメディアには色々なタイプがあり、活用法もさまざまですが、若者が受けいれないスタイルは早晩、新聞や地上波テレビのように活用者の平均年齢が上昇し、社会から見放されるリスクがあります。
フェースブックの積極的な社会的役割はインターネットと言う仮想社会を現実社会に見事に適応させた鋭さにあります。しかし自分探しと自己表現を追い求める若者から見れば本来、武家の社会をもたらすはずの革新派の平家が古い貴族社会に過剰適応して関東武士団の怒りを買い見放されたように、今やフェースブックは体制派=大人の為のソーシャルメディアでしかないようです。
フェースブック=平家が適応した現実社会はいわば貴族社会のようなものであり、若者=武士にとって理想的な住みやすい社会では無いと言う訳ですね。その結果、武士=若者の心は離れます。これが源氏の旗揚げ=スマートデバイス上の新たなソーシャルメディアの台頭を支持しました。
インスタグラムからスナップチャットやVineへ、Whatsappや4億人の参加するWechatの台頭へと巨星平清盛に擬せられるフェースブックの衰退開始などソーシャルメディアの歴史の展開はスマート革命の勃発後の数年間でもすさまじいものがあります。1185年壇ノ浦で平家を滅ぼした源九朗義経はその勝利からわずか1年ほどで兄源頼朝に京の都を追われる身になりました。米国のスマート革命下におけるソーシャルメディアの流行廃れ(はやりすたれ)の早さを見ていると何か壮大な平家物語の絵巻物を見ているような気がします。