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テレビのデジタル化がドライビングフォースとなり、全ての情報メディアが一旦、収縮する時代の羅針盤

売却されたマイスペースの「巣移りの儀式」、ソーシャルメディアの特徴は「滅びの美学」

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<序論>

米国で一時フレンドスターに代わりSNSのトップ企業となったマイスペースが遂にニュースコーポレーションから広告企業に売却されました。2005年当時の買値が5.8億ドル、今回2011年の売値は0.35億ドル程度だそうです。これはソーシャルメディアの栄枯盛衰の激しさを示しています。

 日本国内ではツイッターやフェースブック、YouTubeなど米国渡来のソーシャルメディアが浸透しています。一方ミクシィやグリー、モバゲーなども勢いを落としたという話しは未だ聴きません。

しかし今後、ソーシャルメディアを活用するに当たり、心しておかなければならない点は、ソーシャルメディアの栄枯盛衰は突然、集団の数が増加し、そして突然、その数が一挙に減少する可能性が常にあるという点でしょう。これは「巣移りの儀式」と呼ばれているものですが、蜂が新しい女王蜂の誕生と共に集団で巣を移動するのに似ています。ソーシャルメディアは本質的に「散り急ぐ桜のようにはかない、滅びの美学」を持っていると考えられます。ソーシャルメディアはとっても「萌え易い=燃え易い」サービスであると思われます。

注)巣移りの儀式は進化生物学の発想

★★米ニューズ、「マイスペース」をデジタル広告会社に売却



★★ The Rise and Inglorious Fall of Myspace  (経営誌、ビジネスウイーク誌)



★★MySpace's doom was in its DNA (経営誌、フォーチュン誌)




★★ 遂に売られるマイスペース没落の悲劇はそのDNAからなのか? (筆者の要約、他のブログ)

 (マイスペースの栄光と没落)

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  <出所:ビジネスウイーク誌>

<巣移りの儀式で世代交代し進化するソーシャルメディアの怖さと儚(はかな)さ>

 ソーシャルメディアではネットコミュニティと呼ばれた昔から突然、特定のサービスが爆発的に伸び、逆に別のサービスにおいて壊滅的に参加者の減少が起こります。それを繰り返すことによってソーシャルメディア全体として少しずつ仕組みが洗練され、社会に定着してきました。「もののあわれ」による仕組みやサービスの交代がソーシャルメディア総体の進化をもたらしたと考えられます。

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<ソーシャルメディアには「巣移りの儀式」が付きもの>

2003年に開始された音楽SNSであるマイスペースの快進撃はフレンドスターの没落と共に始まりました。そして今回はマイスペースの番です。

 マイスペースの没落と「巣移りの儀式」は2005年のニュースコープによる580百万ドルでの買収と共に始まりました。大手企業の官僚制、収益重視の経営姿勢、そしてオンラインプレディター問題などが一斉にマイスペースを襲いました。一方受け皿のフェースブックは、2007年、プラットフォームの第三者開放と収益状況を気にしないでよい状況下にあり、その結果、多様な娯楽(当時)、実名と物理的人間関係に基づく安全基地などを暗に売り物として「巣移りの儀式」による移住者を受け入れました。(詳細は上記ビジネスウイーク誌など参照)



ソーシャルメディア=ネットコミュニティの隆盛と没落は古くはAOL、フレンドスターなどがそうでした。日本でもソーシャルネットワーク台頭時の2004年、グリー2.0と言うフェスティバルが開催された直後から、一挙にミクシィの台頭が始まり、あっという間に差が付きました。グリーは当時国内の最大規模のSNSでした。(2004年夏前はミクシィ5万、グリー7万)ネットコミュニティ上での活動よりもリアルでの付き合いを重視するグリーからネット重視派が離れ、多くの参加者がミクシィに移動しました。

また当時、多数のSNSが誕生しましたが、その殆どがミクシィとの競争に敗れ、閉鎖に追い込まれています。筆者はUUMEやフレンドマップなどが閉鎖状態になった時、多くの参加者がオフ会を頻繁に開いてネットとリアルで移転先を議論していたのを思い出します。このような集団での「巣移りの儀式」は、ゲーマーの世界でも頻繁に見られます。1-2年経ってそのゲームに飽きたら新しいゲームを求めてリーダー共々集団で移動する訳ですね。

<今後国内でもソーシャルメディアの「巣移りの儀式」は起こる>

ミクシィ、グリー、モバゲー、ツイッター、フェースブックなどが並存する国内のソーシャルメディアの世界でもソーシャルメディアの突然死や突発的な隆盛=「巣移りの儀式」は起こり得ると考えておいた方が良いでしょう。筆者は国内において複数の大手SNSの並存という状態は、巣移りの儀式は非常に起こりやすい環境になっていると考えています。

海外からのサービスの場合には2007年に突然、2-3万人の日本人街が出来上がり、2008年から一斉に「巣移りの儀式」により、寂れていった仮想社会のセカンドライフの例があります。(現在。五千人程度の参加者数)

またツイッターの場合には「流言飛語」が既に問題になっています。またミクシィなどの場合にも嘗て起こった色々な問題が再発したと考えればどうなるでしょうか。無論、この点はフェースブックやグリー、公正取引委員会との間で問題を抱えるモバゲーなどにも広く当てはまります。

特に複数のソーシャルメディアが横並びで競合している現状のような場合には、社会的イメージの変化などで一斉に「巣移りの儀式」が発生し易い状況になって来ています。

<はかないから美しい、ソーシャルメディアの「もののあわれの美学」>

ソーシャルメディアは本質的に「散り急ぐ桜のように淡く、はかない滅びの美学」を持っているからこそ魅力的であり、感動を呼ぶのだという見方があります。まるで平家物語の中で鎌倉幕府に捕まり、将軍の御前で「静の舞を踊り、一瞬輝いた静御前」や壇ノ浦の戦いで八艘とびをやってのけた源義経の短期間に作られた英雄伝説、太平洋戦争時、グラマンと死闘を演じたラバウル航空隊の活躍のような淡く儚い「滅びの美学」を感じるのですが。

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