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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

エンバカデロの今に至る開発ツール部門分離の真実 その7

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2006年4月に入っても、あらゆることが現在進行形であり、「確定情報はこれです」といえない状況が続いていた。そこで、私たちが今何を考え、何を目指そうとしているのかを、直接語りかける場が必要であろうという結論に達した。

具体的には、5月から6月ぐらいのタイミングで、ユーザーイベントをやろうということだ。しかも、一回限りではなく、継続性のある数ヶ月に一回開催できるようにして、そのときどきのアップデートを共有できるようにしようと考えた。

4月下旬、DevCoの関係者が会議室に集まり、ユーザーイベント開催計画を発表し、名称を何にするかを話し合った。名前を決めるにあたって懸念されたのが、自分たち組織名称が定まらないことだ。今後名前が変わってもイベント名称としては不変であるような汎用性のあるものがいい。「デベロッパーズ・ディ」「コードキャンプ」などいくつもあった案の中から、開発者にフォーカスすること、カンファレンスほどかしこまってないことなどから、「デベロッパーキャンプ」が選ばれた。

現在まで続き、4月23日には25回目を迎えるデベロッパーキャンプ誕生の瞬間である。

ちなみに、この時点では、まだ「ボーランド」に属していたので、「ボーランド・デベロッパーキャンプ」として、社名の冠部分は差し替え可能にした。今思えば、「コードキャンプ」にしていたら、途中「CodeGear」時代に、冠と本体で「コード」が重なっておかしなことになっていた。

かくして、イベント実施が決まり、すぐに準備に取り掛かった。以前「BorCon」などでも協力いただいたイベント会社の方に連絡をとり、あまり時間がないこと、予算も限られていることなどを説明し、すばやく動いてもらったところ、たまたまキャンセルが出て空いていた目黒雅叙園の宴会場を見つけてきてくれた。

Devcamp_01

第1回のイベント告知パンフ。決定から1週間程度でのスピード告知だった

並行してコンテンツの検討を始めたが、こちらの方が大変だった。というのは、ボーランドは、伝統的にマーケティング部門が製品技術に強く、外部のイベントでしゃべるのはもっぱらマーケティングだったため、エンジニアにイベントでしゃべるという文化がなかったのだ。今ではウソのような状態がスタート地点だったため、社内のエンジニアにしゃべらせること、というのが、実は一番骨が折れる仕事だった。

もちろん、これだけではコンテンツは埋まらないので、DevCo全体のアップデートを語ってもらうためにも、海外から人を呼ぶことにした。製品にも詳しく、元々Delphi開発者であったマルコム・グローブス(アジアパシフィック地域担当プロダクトディレクター:当時)である。

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