「経営者さえいらなくなる」イーサリアムが目指す世界とは
ブロックチェーンは元々ビットコインを支えるシステムとして考え出されたため、仮想通貨のためのものと思われがちですが、実はビットコインそのものよりも大きな可能性を秘めていると言われています。経済産業省が行った「ブロックチェーン技術を利用したサービスに関する国内外動向調査」でも、ブロックチェーンが社会に及ぼすインパクトとして仮想通貨が担う「価値の流通」以外に「権利証明行為の非中央集権化」や「プロセス・取引の完全自動化」などの言葉が並んでいます。
スマートコントラクトや DAO (Decentralized Autonomous Organization:自立分散型組織) というのもその可能性のひとつです。先月公開されたこんな記事が目を惹きました。
記事が読まれるためにはタイトルが重要ですが、「経営者さえいらなくなる」というのは良いタイトルといえるでしょう。ただ、この攻め方だと多くの人にDAOの本質を伝えるのは難しいのでは、とも思います。
DAOは新しい組織の形態であり、既存の組織を破壊するものではない
DAOを語るときによく使われるのが「指揮命令系統がいらなくなる」などの説明なのですが、この方向から説明すると、一般の人は理解しにくい(拒否反応がでる)のではないかと思います。多くの人は既存の組織の中で働いているわけで、それがまるごと無くなるかのような話はにわかには理解しがたいでしょう。「給料は誰が払ってくれるの? 」「何かあったときの責任はどうなるの?」など、組織が無い状況というのは想像しにくいのではないでしょうか。
でも、そういったことは、フリーランスの立場から見れば当たり前のことです。既存の組織を破壊するという説明よりは、現在バラバラな人たちがブロックチェーンによって緩やかな組織的繋がりを得ることができる、というアプローチの方が理解しやすいのではないでしょうか。そしてそれがSNS的な情報共有では無く、中心にあるスマートコントラクトによって自動的に制御されるということです。この記事がわかりやすいでしょう。
世界をコンピュータにしたかったイーサリアム
イーサリアムはビットコインに次ぐ仮想通貨ですが、ビットコインが仮想通貨を目指してその中でブロックチェーンを産み出したのに対し、イーサリアムはブロックチェーンを使って(仮想通貨も含み)様々な現実世界の問題解決を図ることができるよう設計されているということです。
今のイーサリアムのサイトには「BLOCKCHAIN APP PLATFORM」と書いてありますが、以前は確か「World Computer」というのが謳い文句だったと思います。しかし、このキャッチはあまりにわかりにくかったのでしょう。イメージが沸きませんものね。
リンクされている動画は8時間半というものすごい長さですが、Vitalik氏の出番は49分過ぎからです。後半はテクニカルな話になるのでわからなくなりますが、最初の3分くらいの中で、それまでの仮想通貨とイーサリアムの違いについてわかりやすく説明されています。要するに、仮想通貨専用の仕組み(プロトコルと言っています)ではなく、様々な用途に使えるよう考えてあるんだ、ということですね。こちらにもそういう記述があります。
Bitcoin がブロックチェーン上に BTC の送金履歴を記録するだけである一方、Ethereum プラットフォームでは、開発者がチェーン上に任意のプログラムを書き込むことができます
ところでこの記事は、実はイーサリアム最大の失敗と言われている「The DAO事件」の顛末について書かれた記事です。あれからちょうど2年になるのですね。記事中にも
The DAO 事件では、Ethereum 自体に欠陥があった訳ではなく、DAO(自律分散型組織)というアイデアに欠陥があった訳でもありません
とあります。仮想通貨にこの手の話はつきもので、コインチェックの騒ぎはまだ記憶に新しいですし、古くはMt.GOX事件もあります。いずれも仮想通貨の仕組みそのものに問題があったわけではないのですが、どうしても不安にはなりますよね。
オープンソースでDAOを考える
DAOを理解しようとするとき、オープンソースコミュニティがヒントになるかも知れません。リーナストーバルズがLinuxカーネルを開発する際に採用した手法は「バザール方式」と呼ばれ、それまで石を積み上げて大聖堂を作るようなやり方でしかソフトウェアは開発できないという常識を打ち壊しました。誰もが自由に開発に参加でき、責任者も曖昧で、何かを決めるのはネット上のメーリングリスト、というやり方で今のLinuxを造り上げたのです。
DAOは分散でなく、非集中化だ
ところで最初に書いたようにDAOは自立分散型組織と訳されているサイトが多いですが、私はこれは厳密には違うと思っています。分散にはDistributedという単語がありますから、わざわざDecentralizedと言っているからには、Distributedとは違う、というニュアンスがあるのだと思います。ですから、私としては「自律型非集中化組織」と訳したいですね。説明が難しいのですが、これまであったものをバラバラにして「分散」するのではなく、「中心のないもの」を新しく作る、というイメージでしょうか。うまく説明できるよう、もう少し考えたいと思います。