【書評】答えは問題の内側にある――『インサイドボックス』
英語に"Think outside the box"(既成概念にとらわれずに考える)という表現があります。「Box」つまり「箱」とは、自分の心の中にある、ものの見方や偏見のこと。意識しているかどうかに関わらず、人はこの「箱」に思考を支配されることになります。
たとえば鉄道が時間通りに運行するのが当たり前になっている東京の住民は、「電車の到着が数分遅れたら、何らかのトラブルが起きている可能性がある」という箱が心の中にあります。東京にいる限りは、その概念に基づいて考えることで、適切な行動を取れる(いち早く別経路を取るなど)可能性が高まるでしょう。しかし公共交通にそれほどの信頼性がない国に来た場合には、箱の存在を意識していないと、何のトラブルも起きていないのに大慌てしてしまうことになります。あるいは分刻みでスケジュールを組んでしまい、待ち合わせの時間に遅れるといった事態になるかもしれません。
特にまったく新しい商品やサービスを生み出そうとしている場合には、この「箱」が大きな足かせになります。そこで「箱の外で考える=アウトサイド・ザ・ボックス」という表現が「既成概念にとらわれずに考える」という意味になるわけですね。
前振りが長くなりましたが、今回の『インサイドボックス 究極の創造的思考法』の原題は"Inside the Box"。先ほどの"Think outside the box"をもじった言葉なのですが、「アウトサイド」であるべきところが「インサイド」になっています。副題から分かるように、本書のテーマは「いかにクリエイティブなアイデアを生み出すか」。しかしむしろ箱の中で考えろとは、いったいどういう理由なのでしょうか?
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確かに頭の中の「箱」がジャマをして、まったく新しいアイデアを思いつくことができないということがあります。しかしなぜそのような「箱」、すなわち現実を見る際の脳内モデルが存在するのかといえば、そもそもそのようなモデルがなければ外界をうまく把握できないからです。たとえば先ほどの「電車は時間通りに来るもの」というモデルを完全に取り払ったとして、外を眺めたら何が起きるでしょうか。極端な場合、目の前を走る巨大な機械が、自分を他の場所に連れて行ってくれる乗り物だということすら理解できないかもしれません。「箱」という思考の方向性をすべて除いてしまうと、そもそもどのように考えたら良いのか分からなくなってしまう可能性があるのです。
これに対し、本書は次のように主張します:
これまでの常識では、創造のプロセスを体系化することはできず、定石やパターンにはめ込むことは不可能だと考えられてきた。真に独創的で革新的なものを生み出すためには、枠の外(アウトサイドボックス)でものを考えなければならない、要するに固定概念を捨てよというわけだ。また、どいういう問題を解決すべきかをはっきりさせ、制約を設けずにブレインストーミングをおこない、解決策が見つかるまでそれを続けるべし、とされる。そして、自分の製品やサービス、プロセスと直接関係ないものを躊躇なく参考にすべきだとされる。画期的なアイデアを生み出すためには、できるかぎり遠くの世界にさまよい出ることが有効だというのだ。
私たちの考えはその正反対だ。イノベーションの数を増やし、その質とスピードを高めるためには、一定のヒナ型にのっとって、勝手知った世界の内側で――つまり枠の外ではなく<枠の中(インサイドボックス)>、すなわち制約の中で――考えるべきだと、私たちは思っている。
そして新しいアイデアを生み出す思考のヒナ型として、「引き算のテクニック」「分割のテクニック」「掛け算のテクニック」「一石二鳥のテクニック」「関数のテクニック」の5つを紹介し、実際に過去の様々なイノベーションがこれらのヒナ型から生み出すことができることを解説しています。
個人的に印象に残った例を紹介しましょう。舞台は紀元前3世紀ごろのエジプト、アレクサンドリア。ここにかつて存在した巨大建造物「アレクサンドリアの大灯台」を設計した建築家ソストラトスは、自分の名を後世に残すために、大灯台に自分の名を刻もうとしていました。しかしそんな大それた行為を、当時エジプトを統治していたプトレマイオス2世が許すはずもありません。ではソストラトスはどうしたのか。本書は彼が思いついた解決策を、「関数のテクニック」で考えることができると解説しています。
関数のテクニックとは、問題となる性質や状態に関係する「時間」や「変化」に注目するもの。例として、死亡保険を思い浮かべてみましょう。死亡保険をいくつかの要素に分解し、それぞれの要素が持つ変数を変化させてみることを考えます。たとえば保険金の支払いが、死後ではなく死亡する前になったら――あまり楽しい事例ではないですが、余命間もないことが確定した時点で、被保険者が最高の状態で余生を過ごすための資金が支払われるという保険になるでしょう。
話を戻します。実はソストラトスは、灯台に自分の名前を刻んだ後で、その上に漆喰を塗り、さらにその上にプトレマイオス2世をたたえる賛辞を記していたのでした。「王を賞賛する」という状態が続いてほしいのは、プトレマイオス2世が生きている(あるいは王朝が存続している)間だけ。しかし「自分の名を後世に伝える」という状態が生まれてほしいのは、自分の死後でも構いません。そして漆喰は年月とともに風化し、プトレマイオス2世もソストラトスも亡くなったずっと後で、「この灯台をつくったのはオレ!」という文章が現れたと。これはちょうど「死亡前に保険金が受け取れる死亡保険」と逆の発想で、効果が生じるのを遅くしたわけですね。
本書ではこのように、問題の外側ではなく内側に目を向け、そこに関係する様々な要素や変数を変えてみるというテクニックを紹介しています。そんなことで本当にイノベーションが生まれるのだろうか?やはり現状から大きく離れてみることが有効ではないのか?と思うかもしれませんが、実は現状に立脚して考えるというのは、革新的なアイデアを生み出すためのテクニックとして様々なイノベーション本でも支持されているアプローチです。たとえば以前ご紹介した『イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則』 (スティーブン・ジョンソン著"Where Good Ideas Come From"の邦訳/以前の書評はこちら)では、一見するとまったく新しいと思えるようなアイデアでも、それまでの歴史的な経緯や周辺環境から多くの影響・支援を受けていることが指摘されています。
たとえば本書には、「冷蔵庫からコンプレッサという要素を切り出すことで、『冷やす箱』を自由に配置できるようにし、『冷蔵引き出し』を備えたキッチンを実現する」というアイデアが登場します。これはインサイドボックス型の思考法を紹介するセッションで、冷蔵庫という文字通りの「箱」の内側=構成要素を改めて考え直す中で生まれたものです。もし冷蔵庫という製品が存在せず、古代の氷室のようなものを使っていた時代であれば、このアイデアは生まれなかったでしょう(そもそも技術的に無理という話はさておくとしても)。「アウトサイドボックス」型のアプローチでは思いつくことが難しいアイデアでも、「インサイドボックス」型であれば効率的に到達することができるわけです。
また製品や問題を様々な要素に分解して考えてみるというアプローチは、最近のテクノロジー環境を考えた場合、さらに望ましいものと言えます。最近『ソーシャルマシン』という本を翻訳させて頂きましたが(以前の書評はこちら)、同書でも紹介されているように、いま様々な製品やサービスがネットワークを介してつながり、様々な機能や価値が分散型で実現されるようになっています。たとえば温度計から「温度を表示する」という機能/要素を切り離し、それをユーザーが持つスマートフォンに移してしまうということが可能なわけですね。そしてそうすることで、非常に(外見が)シンプルかつ「どこにいても自室の室温を確認できる」という新しい価値を提供可能な温度計が誕生することになります。
ほかにもウェブ上でコラボレーションする、他サービスを土台にして新たな価値を生み出すといった様々な「機能的/位置的分割」が可能になっていますが、こうした状況はインサイドボックス型のアプローチにとって非常に好都合ではないかと感じました。ウェブ系やM2M、IoTといった分野に関係している方であれば、本書は非常に刺激される一冊になるのではないでしょうか。
一方で本書では、先ほどのソストラトスの話からも分かるように、様々なイノベーションの事例が紹介されています。たとえすぐに新製品や新サービスを生み出さなければならないという立場には置かれていない(幸運な)方でも、読み物として楽しめる一冊だと思います。