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【書評】脳が求める物語とは――'Wired for Story'

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テクノロジーの進歩によって、映像による娯楽を手に入れるのはごく簡単なことになりました。タブレット端末を通じて、好きな時間に米国の最新ドラマを観ることだって可能です。しかしそんな時代になっても、寝る間も惜しんで小説を読みふけってしまった、という体験は過去のものになっていません。目の前にあるのはただの活字なのに、なぜここまで惹きつけられるのか――'Wired for Story: The Writer's Guide to Using Brain Science to Hook Readers from the Very First Sentence'は、脳科学という観点からこの謎を考え、それを教訓として「読者を惹きつける物語」を創作するにはどうすべきかを論じた一冊です。

Wired for Story: The Writer's Guide to Using Brain Science to Hook Readers from the Very First Sentence Wired for Story: The Writer's Guide to Using Brain Science to Hook Readers from the Very First Sentence
Lisa Cron

Ten Speed Press 2012-07-10
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と言われても、「別に小説家になる気はないからいいよ」と感じる方も多いかもしれません。しかし「物語」というものがいかに人間にとって大きな存在で、生活の隅々まで浸透しているか、少し振り返ってみるだけで理解できるのではないでしょうか。論文やプレゼンの冒頭に、象徴的な説話を挿入して読者や観客の心をつかむ。小さな子供にたとえ話をすることで、伝えたいことをより理解してもらう。さらにはとっておきの大ニュースを伝える際に、要点だけを話すのではなく、ストーリー仕立てにして徐々に盛り上げてゆく等々――物語は小説家だけのものではなく、人間ならば誰もが使っている道具なのです。

実際に本書の解説によれば、物語に引き込まれている状態の脳を分析したところ、視覚や聴覚、さらには味覚に至るまで、現実の感覚を司る部分が活性化していたとのこと。単に「階段で転ばないように注意しましょう」と言うのではなく、「小学校2年生の太郎君は、元気だけど先生の注意を聞かない男の子でした。ある日太郎君が学校の階段でふざけていると……」と伝えた方が、自分の体験として感じやすくなるわけですね。これは古来から多くの教訓や警告が、物語の形式を通じて伝えられてきたことからも明らかでしょう。

とはいえすべての物語が、同じぐらい人々を惹きつけるわけではありません。なぜブラッドベリや村上春樹、あるいは稲川淳二(!)といった稀代のストーリーテラーがいる一方で、平凡な物語も山のように存在するのか。本書は様々な研究成果をもとに、「脳が生理的に反応してしまう物語」の特徴を探ります(とはいえテーマはあくまでも「物語をどう書くか」にあるので、神経科学・心理学への言及は必要最小限なものになっています)。

例えば描写の詳しさについて。「脳は抽象的に考えるよりも、具体的に考える方を好む」という点から、描写には一定の具体性が必要だと説かれます。しかし頭から爪の先に至るまで描写すべきかというと、もちろんそんなことはありません。詳細性が大切な一方で、「人間が一度に覚えられる情報は7つ程度」という点から、本書は「必要な情報は必要な時に渡す」という教訓を導き出しています。さらに「人間は無意識のうちにもパターンを見出そうとする」という事実があるために、不用意に情報を出してしまうと、読者は描写の中に別の構図(作者が意図していないもの)を見てしまうという指摘も。これは時に、「ファンが様々な裏読みをできるカルト的な作品」という方向性での成功につながる場合もありますが、作者が成否を左右できないという点では望ましくない状況でしょう。

こういった文章論、あるいは芸術論の場合、「こうすべき」という指摘が「それは作者の好みだろう」で片づけられてしまうということが往々にして起こりがちです。しかし本書では、すべての教訓が脳科学の研究成果に結び付けられる形で提示されており、それぞれに対して納得感を得られることでしょう。ただそれが良いのかどうか――ある意味で「脳をハックする」ことでウケる物語を書くことを、心情的に許せるかどうかはまた別の話。「そんなの芸術じゃない」という意見も当然ながら出てくると思いますが、本書はあくまでも芸術論ではなく、「脳の観点から適切な物語運びとはどんなものか」を考察した本であることを、改めて述べておきたいと思います。

ともあれ個人的にはマジックのネタばらしをしてもらったような、舞台の裏側をのぞくような楽しさがある一冊でした。また実在の小説から引用したもの・解説のために創作されたものを問わず、様々な実例(物語の一節)も紹介されており、無性に小説が読みたくなってくる本です。本書を読まれる方は、ぜひそんな欲求を満たすために、あるいは解説されているテクニックが本当かどうかを検証するためにも、傍らに別の小説を用意しておくことをお勧めします。

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