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【書評】『万里の長城は月から見えるの?』

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万里の長城は月から見えるの?――いいえ、見えません。という身も蓋もない結論から始まる本『万里の長城は月から見えるの?』を読んだので、感想などを少し。

万里の長城は月から見えるの? 万里の長城は月から見えるの?
武田 雅哉

講談社 2011-10-12
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万里の長城は月から見えない。それどころか、スペースシャトルや国際宇宙ステーション程度の距離からでも見ることは難しい。にも関わらず、「万里の長城は宇宙から見える唯一の(あるいはオランダの堤防も含めて2つだけの)人工建造物である」というような解説を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。僕もどこでかはハッキリと思い出せないまでも、「米国の宇宙飛行士が宇宙から地球を見た時に……」的な前置き付きで「宇宙からも見える」という形容詞を聞いた記憶があります。

ではそれが事実ではないとしたら、いったい誰が言い始めたことなのか。そしてなぜ誰が言い出したのか分からないほど、広く流布される説になってしまったのか。本書は実に12世紀にまでさかのぼって、「壮大な建造物:万里の長城」というイメージが形成されてきた過程を追っています。

恐らく「なぜここまで壮大なイメージが出回ったのか」という問いに対し、多くの方は「中国政府による国威発揚のプロパガンダではないか」という予感を抱くのではないでしょうか。その予感がかなりの部分正解であることを、本書は様々な資料を挙げて指摘します。小学校の教科書や、政府による刊行物など、様々な場所で「月から見える建造物を造り上げるほど、私たちの先祖は偉大だったのだ」という宣伝がなされたわけですね。それは中国、そして万里の長城に限らず、多かれ少なかれどこの国でも行われていることでしょう。

ただ万里の長城のケースで面白いのは、「デマ」に関わったのが中国政府だけではないという点です。実はこの「月から見える」という表現、早くも18世紀半ばの西洋の文献に、その原型を見ることができるのだとか。さらに近現代以前の中国では、万里の長城はむしろ「秦始皇帝の暴政の象徴であり、また、おぞましい異域と中華を隔てる障壁」として捉えられていたとのこと。つまりデマの発信源は中国国内ではなかったばかりか、宇宙飛行が実現するよりもずっと昔から流布されていたわけですね。

しかし、例えば中国を紹介する海外の書物などで「月から見えるほど壮大な建造物」という表現が多用されるようになり(特に観光業に関係する企業にとって、このフレーズは非常にありがたいものだったようです)、中国政府自身が長城の価値を再発見するに至って、プロバガンダ的な情報発信が行われるようになったという構図を本書は描いています。だからこそ、「月から見える」という表現は単なる情報操作以上の感染力を持つに至っているのでしょう。

なぜ風呂場の汚れのように、ぬぐい去ろうとしてもしつこく残り続ける情報が存在するのでしょうか。答えを出すことは難しいですが、本書が描いているように、情報とは「事実かどうか」で割り切れる単純な存在ではなく、それを取り巻く社会環境や歴史的経緯、その時代における社会のムードなど、複雑な構図の中で化学変化を起こすものなのでしょう。長城の例を「中国政府はしょうがないな」で片付けることは簡単ですが、私たち自身が同じ落とし穴に落ちても不思議ではないことを、本書は示していると思います。

さて、この「宇宙から見える唯一の人工建造物:万里の長城」という主張、実は中国自身の宇宙飛行士によって否定されています。2003年10月、「神船5号」で中国初の有人宇宙飛行を成し遂げた楊利偉中佐は、テレビ番組の中で「万里の長城は見えなかった」と発言したのだとか。この発言が中国国内にどのような反響を巻き起こし、結果として「月から見える」というロジックがどのような変容を遂げるに至ったのか。この点も非常に面白い物語が展開されていますので、ご興味のある方は確認してみて下さい。

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