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なぜ記録を残すのか

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最近『豚インフルエンザ事件と政策決断―1976起きなかった大流行』という本を読みました(書評はこちらに)。1976年に米国で行われた、新型インフルエンザに対するワクチンの集団接種政策について分析したものなのですが、実は副題でも示されているように、この時には予想されていたパンデミックは発生しませんでした。そればかりか、ワクチンによる副作用の可能性がある病気が発生するなどして、公衆衛生に対する信頼を失墜させてしまう結果に。ではなぜ「集団接種」という決断が下されたのか、当時の資料や関係者らの証言を基に、政策決定過程の分析を行ったのが本書になります。

僕も大学で政策決定過程を学んだ人間ですので、米国ではこの種の研究が驚くほど詳細に行われることは知っていたのですが、それでも本書のボリュームと詳しさには驚かされました。何より、本書の基となった政府報告書が発表されたのが1978年。「事件」そのものからわずか2年しか経っていません。だからこそ詳しい資料が集められたのだという面もあると思いますが、自分が愚策の責任者として糾弾されるかもしれない報告書のために、関係者らがよく口を開いたなと思わせる内容でした。そして彼らが証言してくれたために、今日私たちがこのような形で本書を手にして、同じような事態に直面した際に何をすべきか・何をしないべきかを学ぶことができるわけですね。

この点について、本書の訳者である西村秀一博士も以下のように述べられています:

ところで本書を読んで感嘆するのは、行政内部のことを個々人へのインタビューも含めよくもこれだけ詳細に調べることができたということである。一方わが国では、残念ながら今のいままではH5亜型インフルエンザ対策にしろ今度のプレパンデミックワクチン問題にしろ、どのような議論がなされて物事が動いていったのか、後世の人々たちが調べようとしてもできない相談である。官僚の無謬性神話の陰で、政策決定の不透明さや判断の責任の所在のあいまいさがこれまで何度となく指摘されてきたことは、米国のこの事例と対極をなすものである。悪意や極端な不作為でない限り個人を責めるのではない。人は過ちを犯すこともあるということを前提に過ちを素直に認め、同じようなことを繰り返さないために、積極的にその原因を明らかにしていくような行政風土の育成が日本社会に望まれそのための行政の努力とそれを促す国民の監視が必要とされている。そしてそれには、結果的にどのような決定がなされようと、その決定までのプロセスを明快な記録として残すことが必須である。

僕はこの主張に100%同意したいと思います。政策決定過程を記録に残し、分析することは、個人を非難するために行われるものではありません(確かにそのために使われてしまうという可能性があることも否定しきれない、というのは悲しいところですが)。過去の失敗に学び、よりよい政策を将来実現するためのものですから、それを行わないことはさらに愚策を重ねてしまうことを意味するでしょう。むしろ失敗の責任を感じているなら、進んで過去の経緯を明らかにするぐらいの文化が定着しても良いはずです。

この本を思い出したのは、昨日こんなニュースを読んだからでした。まずは沖縄返還時の日米交渉の中で、密約の存在を初めて法廷の場で明言した元外務省アメリカ局長、吉野文六さんの言葉:

「歴史の歪曲はマイナス」=政府に公開促す-法廷で西山氏と握手・外務省元局長 (時事ドットコム)

「歴史を歪曲(わいきょく)しようとするとマイナスが大きい」。元外務省アメリカ局長吉野文六氏(91)は1日、法廷での証言後に記者会見し、「真実を追求する努力を続けることが、日本の将来に有益と信じるようになった」と、密約を認めた理由を説明した。

「(沖縄返還)協定交渉の実情を真相に近い形で伝えたいと思った。一部でしかないが、真相を語ったつもり」。証言を終えた吉野氏は「歴史的真理を追求し、事実をそのまま国民に知らせることが大事だ」と指摘。「正しい外交に役立つ。政府も(隠ぺいを)認めるべきだ」と密約文書の公開を促した。

そして鳩山政権の平野博文官房長官が、昨日発表したある方針について:

閣議の議事録、作成せず=平野官房長官 (時事ドットコム)

平野博文官房長官は1日午前の記者会見で、閣議や閣僚懇談会、各閣僚委員会に関して「閣僚間の忌憚(きたん)ない意見交換ができる場だから、議事録を作成していない」と述べ、出席者による議論は今後も記録に残さない方針を明らかにした。

平野長官は「いろんな意見が出るので、取り方によっては『各大臣の言っていることが違うじゃないか』ということが後で出てくる可能性もある」と、議事録を作成すれば弊害が生じかねないと指摘。「必ず記者会見なりを行うことで透明性は確保される」と強調した。

こちらについては、そもそも閣議には公的な議事録は存在しないのだから問題ない、という意見もあるようですが。ただ一つ言っておきたいことは、後世の人々にとって、何がメリットとなるのかを考えておいて欲しいという点だけです。

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