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自分のビンには、どんなラベルが貼ってあるのだろうか

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It's hard to read the label when you're inside the bottle.

ビンの中にいたら、貼ってあるラベルを読むのは難しい。

いま『芸術の売り方』という本を読んでいるのですが、その中に登場する言葉です。元々は"Top 12 Advertising Mistakes to Avoid"という記事にある言葉で、「自社の製品/サービスについては知識があり過ぎるから、(自社社員が)それを客観的に見ることは難しい」というのが本来の意味。それを『芸術の売り方』では一歩広げ、芸術・文化事業(オーケストラや演劇、オペラなど)でも「自分たちの姿を利用者の側から捉えよう」という意味で引用されています。

たとえ話から過度の教訓を引き出すのは危険なのですが、この比喩の良いところは「他人が自分にどんなラベルを貼っているか=他人から見ると自分はどう見えるのか」に意識が向けられる点ではないでしょうか。自分たちの姿を把握しようとした時、最初に提案されるのは「客観的に見る」という行為でしょう。しかしそれは非常に難しい行為で、単なるデータの寄せ集めで終わってしまう場合があります。客観もいいのですが、それよりも視点を定めて自分を見る――すなわち「若年層は我々にどんなラベルを貼るだろうか」「主婦層はどうか」といったアプローチが有効なはずです。

最近、この「他人の視点で自分を見る」ということが欠けているのではないかという例が見られます。例えば前回「謝罪会見」について書きましたが、ある会見で一部のレポーターが取った態度が「行き過ぎである」として批判されました。これはマスコミが、視聴者がマスコミに何を期待しているのかを見誤っていることにも一因があるでしょう。また先日、Polar Bear Blog の方で「ケータイで情報をやり取りする姿を『異様』と言い切る新聞」について取り上げたのですが、こちらは「新しく登場するメディアを『異様』で片付けてしまう自分=古いメディアがどのように受け取られているか」という点に対する想像力が欠けた例だと思います。

自分も非難してばかりはいられません。僕は若い(?)とはいえ完全な「PC世代」で、正直「ネットはPCからアクセスするのが正しい」と信じて止まない面があります。ケータイからしかネットにアクセスしない世代なんて変だ――と思ってしまうのですが、そういった世代が僕を見たら「PCからしかネットにアクセスしたがらないオヤジ」となってしまうのでしょう。そのラベルが正しいかどうかは次の問題として、ビンの内側に引きこもるのではなく、他人から見た自分がどのように見えるのかを意識することが重要なのだと思います。

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