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「映像」が最も危険なデータになる日

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昨年AR(拡張現実)技術について取材させていただいた際、何度か耳にした予測が「今後はビジョンベース(画像解析型)ARの開発が進むだろう」というものでした。ARは現実とデジタル情報を重ね合わせる技術ですから、何らかの形で端末(PCやスマートフォンなど)に周囲の状況を認識させる必要があります。それをマーカーやGPSを使って行うのが現在は主流なわけですが、カメラに写った普通の風景を解析する――すなわち人間の目に近い形で状況を認識する方式も発展するだろうという予測ですね。

実際にモバイルARブラウザの中には、ビジョンベースの機能開発に力を入れているものが幾つかあるのですが、インパクトという点では昨年末に登場したアプリ"Word Lens"を紹介しないわけにはいかないでしょう:

OCR技術とARを組み合わせ、映像の中から抽出した文字を即座に翻訳(英語<->スペイン語)、それを元の映像に上書きして示すというもの。これはビジョンベースARのほんの一例であり、他にも驚くような技術/アプリケーションが開発されようとしています。

それではビジョンベースARの根幹となる、画像解析技術はどこまで来ているのか。状況を概観できる記事がNew York Timesに掲載されています:

Smarter Than You Think - When Computers Keep Watch (New York Times)

画像解析、特に「写っている人間の状況を把握する」という技術の現状と近未来を解説した記事。例えば「スマイルシャッター」(笑顔を検知してカメラのシャッターを切る技術)や、Xbox 360の「Kinect」、Google Goggles(カメラで撮影した画像を解析、写っている物体や文字などを認識して検索するモバイルアプリ)など、私たちの身の回りには既に、画像解析を応用したアプリケーションが登場しています。それがもう一歩進むと、どのような世界が出現するのか――記事では次のような事例が紹介されています:

  • 病院内の医師や看護師に手洗いを徹底させるため、手洗い行動を映像内でチェックする
  • ベッドから落ちそうな患者を発見し、近くにいる看護師に通報する
  • 映画館や小売店などで人々の反応を解析し、マーケティングに役立てる
  • 監視カメラの映像からテロリストを発見する
  • アルツハイマー等が原因で徘徊してしまう患者を見つける
  • 鏡に血管の状態を把握できる特殊なカメラを仕込み、毎日の健康状態をチェックする

個人的に面白かったのは、映画を試写して観客の反応を解析(表情から心で抱いている感情をリアルタイムで把握する)、瞬間瞬間の場面や登場人物単位で良し悪しを把握するというもの:

The software “makes it possible to measure audience response with a scene-by-scene granularity that the current survey-and-questionnaire approach cannot,” Mr. Hamilton said. A director, he added, could find out, for example, that although audience members liked a movie over all, they did not like two or three scenes. Or he could learn that a particular character did not inspire the intended emotional response.

このソフトウェアは「観客の反応を場面ごとの単位で把握できるが、これは今までのアンケート形式の分析方法では不可能だったものだ」とHamilton氏は解説する。さらに彼によると、このソフトを使えば、例えば観客が「全体としては良かった」と感じている場合でも、2~3の場面については気に入らないと感じているのを見つけ出すことができる。あるいは特定の登場人物が、観客から意図した反応を引き起こしていないといったことが把握できるのだ。

お笑い番組で「ランダムに選ばれた観客5人が笑えば勝ち」というものがありましたが、喩えて言うならこれを機械的にして、さらに大人数でも一気に確認できるようにするシステムといったところでしょうか(笑)。もちろん精度の面で課題は残されていると思いますが、映像だけで人間の状態を把握する仕組みがここまで実用化されてきているわけですね。

しかし問題は、画像や映像は高度なセンサー類を必要とするものではなく、比較的入手しやすいデータであるという点。以前から「街中に設置された監視カメラがプライバシーを侵害するのではないか」という話がありましたが、今はiPhone一台あれば、誰でも・どこからでも生中継までができてしまう時代です。従って知らず知らずのうちに、ごく個人的な情報を他人に知られてしまう恐れがあるわけですね。このブログでも以前「看板にプライバシーを侵害される日」という話をご紹介したことがありましたが、既に公共スペースに設置されたカメラから、通行人の性別や世代・人種などといったデータが割り出されるという状況が現実のものとなっています。さらに解析技術が進めば、写っている人物が誰か・その人物はどのような精神状態にあるか・何をしようとしているか(あるいはしていないか)・どのような健康状態にあるか等々まで把握されてしまう危険があると。

もちろんこうしたリスクはメリットと裏腹の関係にあり、逆に病気の兆候をいち早く察知する・隠れているテロリストを発見する・犯罪行為を抑止するといったプラスの側面が社会にもたらされる可能性が忘れられてはなりません。しかし暖房器具が暖かい部屋というメリットだけでなく、火事というリスクをもたらすものであることを誰もが知っているように、画像解析技術が2つの側面をもたらしつつあることが広く認識される必要があるのではないでしょうか。あるいは画像/映像データが、今後いかに個人のプライバシーと密接に結びつく存在になっていく可能性があるのかを知るだけでも、それを適切に扱おうという姿勢が社会に浸透することでしょう。

なんだか脅かすような話になってしまいましたが、個人的にはプライバシーの概念が時代とともに変化しているように、「映像があれば全てが分かる」という状況に対して人々は何らかの妥協点を見出すようになると信じています。リスクは決してゼロにならないでしょうが、それを補って余りあるメリットが社会にもたらされるはず――というのは希望的観測でしょうか。

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