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無力化する「Google八分」

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New York Times のOP-ED欄に、ある意味で懐かしさを覚えるような意見が掲載されていました:

Search, but You May Not Find (New York Times)

「ネットワーク中立性」という言葉が叫ばれるようになって久しいですが、それに加えて「検索中立性」、つまり検索エンジンは恣意的に検索結果を変えてはならないという道義性を確立すべきではないか、というのが中心の議論です。いや、特に新しい意見というわけではなく、市場を独占するような検索エンジンには「村八分」のような力があるのではないか……というのは以前から唱えられていたことですよね。文字通り「Google八分」なんて言葉もあったよなぁなどということを、この記事を読みながら懐かしく思い出してしまいました。

Today, search engines like Google, Yahoo and Microsoft’s new Bing have become the Internet’s gatekeepers, and the crucial role they play in directing users to Web sites means they are now as essential a component of its infrastructure as the physical network itself. The F.C.C. needs to look beyond network neutrality and include “search neutrality”: the principle that search engines should have no editorial policies other than that their results be comprehensive, impartial and based solely on relevance.

今日、Google や Yahoo、そしてマイクロソフトの新しい検索エンジン"Bing"などは、インターネットの門番のような役割を果たしている。ユーザーたちを特定のサイトに導くという重要な役割は、物理的な回線と同じぐらい欠かせないものとなっているだろう。FCC(※連邦通信委員会、米国で情報通信に関わる規制を行う機関)はネットワーク中立性だけでなく、その先にある「検索中立性」も監視すべきだ。ここで言う「検索中立性」とは、検索エンジンは何らかの編集を行うべきではなく、検索結果は網羅的で、関連性によってのみ表示順を決定する中立性を保つべきという意味である。

確かにその通りなのですが、例えば「自国内の人権弾圧を隠そうとして圧力をかけてくる政府に屈する検索エンジン」がダメなのは論外としても、それでは「偏りのない検索エンジン」が本当に使えるツールになるのかどうか――何らかの価値判断によって検索結果が左右されるのは不可避であり、逆に適度な「偏り」が検索エンジンの使いやすさを生むのではないか、といったような反論がなされていたように記憶しています。

ただ今日お話ししたいのは、検索中立性が是か非かという点ではありません。あくまでも個人的な感覚なのですが、「Google八分」という問題が取り上げられる頻度は少なくなってきているのではないでしょうか。それはもちろん、Google が公共性を意識するようになり、検索結果の恣意的な改ざんを行わなくなったということを意味するかもしれません。しかしむしろ、それは Google 以外の情報入手経路がネット上に増えたために、以前より「検索エンジンにどう扱われるか」が気にされなくなっているということを意味している可能性もあるのではないでしょうか。

例えば最近だと、Twitter が情報収集に非常に役に立つという意見をよく耳にします。個人的にも、Twitter上で「これ知ってる人いますか?」などと聞くことがあり、その度にレスポンスの速さ・正確さに驚かされています。もちろん Twitter 上で質問する前に、自分自身で「ググって」ある程度の情報を集めているのですが、そこで集まらなかった情報が瞬時に手に入るという経験をすることもあります。またイランの反体制運動などの例は、そもそも検索エンジンでは把握することすらできない、体制側が隠しておきたい情報を外部に伝達するのに Twitter が役立てられました。さらにこれもよく指摘される点ですが、情報のリアルタイム性という点でも、検索エンジンはライフログ系のサービスには太刀打ちできないでしょう。

だから Twitter は素晴らしい、Google などもうお終いだ、などと言うつもりはありません。個々のサービスの優劣は別にして、それぞれの情報経路が長所と短所を持ち、お互いを補い合うようになっているのが現在の状況なのではないでしょうか。その世界では、「Google八分」のような行為は意味を持ちません。ある情報経路がふさがれれば、別の情報経路の価値が高まるだけです。よりラディカルなことを言ってしまえば、個々の情報経路に「偏り」があった方が、ネット総体としての情報伝達力は上がるとも考えられるでしょう。

そんなことをボンヤリと考えていたのですが、このような捉え方、数年前であれば思いつくことすらなかったはずです。改めて最近のウェブ界隈の変化の速さに驚いているのですが、その意味ではまた数年後に「いや、Google の検索力は絶対だ!」などという状況が復活しているかもしれません。果たして来年は、どんな新しいサービスが登場し、ウェブ界隈に変化をもたらしてくれるのでしょうか。

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