脳内も大掃除を
今日は仕事納め。今年も一年、いろいろなニュースがありました。仕事柄・・・というより単に自分の趣味で、毎日幅広い話題に触れるようにしているのですが、最近「情報を正しく解釈できているのだろうか?」と悩んでいます。
先日、通勤で使う駅にやってきた時のこと。たまたま会社の人と一緒で、いつもは駆け下りてしまう階段を、ゆっくりと歩いていました。すると・・・階段を下りたところにあるはずの、小さなスープ専門店が無くなっているではありませんか(以下の写真でエスカレーターの手前辺りにあった):
ああ、小さなお店だったから解体が1日で終わったのだろうと思い、「ここって潰れちゃったんだね~」と同僚に話しかけてビックリ。「え?もう1ヶ月ぐらい前からこの状態だよ」という返事が返ってきました!僕は1ヶ月の間、このお店が潰れたことに気づかなかったわけです。ガランとしたスペースが目の前に広がっているのに。
実は人間の目は、外界の情報を100%受け取っているのではないという話を聞いたことがあります。目が拾う情報はごくわずかで、残りはまさしく「脳内で補完」しているのだとか。僕の場合、進行方向にある階段にばかり目が向けられていて、傍らにあるスープ専門店は「そこにあるもの」として脳内で勝手にイメージされていたわけです。たまたま他人と一緒で意識が分散するという状況がなければ、僕は1ヶ月でも2ヶ月でも、空想のお店の横を通り過ぎていたことでしょう。
ブログを書くようになり、ずいぶんと情報収集に時間を割くようになりました。「ブログのためにネタ探しなんて」と批判する方もいらっしゃいますが、僕はネタ探しすることによって、情報に対する感度が高まるという効果があると思います。しかしいくら頑張っても、100%の情報を受け取るのは不可能です。重要だと思うものを咀嚼し、そこから「ああ、最近はこういう流れになりつつあるのだな」などと解釈しなければなりません。もしそこで発生する取捨選択を間違えていたり、解釈に必要な補完情報が誤っていたとしたら -- 先の例のように、重要な情報を見落とし、「あの駅には簡単に食事ができるところがある(から朝食は食べずに出かけていい)」といった誤った結論を導き出してしまうことになります。
思い込みや決め付けなど、脳内には様々な障害物があります。それを放置していては、いくら情報収集にやっきになってみても、正しい価値を手にすることはできません。ではどうすればいいのか、と聞かれても明確な答えはないのですが(ごめんなさい)、年末ということで脳内も大掃除してみるというのはどうでしょうか。いまの知識はいったん忘れて(本当に忘れてしまっては困るので、忘れたフリをして)、様々な前提や専門用語を逐一確認しながら情報に触れてみれば、「実はAという情報はBにとってプラスであることが分かった」などという気づきが生まれるのではないかと思います。
先の例があってから、駅周辺を「プチ観光旅行」してみました。始めてその駅に降り立ったつもりになって、新鮮な気持ちで歩いてみると、意外なモノがあることに驚かされます。歴史のある建造物や、美しい装飾、裏道に隠れていたお店などなど -- 知らず知らずのうちに、私達の脳内にはいたるところにホコリが積もっているのかもしれません。