オルタナティブ・ブログ > シロクマ日報 >

決して最先端ではない、けれど日常生活で人びとの役に立っているIT技術を探していきます。

【書評】『インターネットが死ぬ日』

»

なんだか最近書評が続きますが、面白い本に出会う機会が増えているだけですのでお許しを。今日ご紹介する『インターネットが死ぬ日』も、多くの方々が面白いと感じる一冊だと思います。

「インターネットが死ぬ」とは少々刺激的なタイトルですが、別にサイバーテロが迫っているとか、IPアドレスが枯渇するとかいう話ではありません(ちなみに原題は"The Future of the Internet"で、文字通り「ネットの未来」といったところ)。しかし本書を読み終わる頃には「むしろそういった種類の危機の方が怖くなかったのに」と感じていることでしょう。では、著者のジョナサン・ジットレイン氏が恐れるネットの未来とは何か。簡潔にまとめれば、それは「ネットからネットらしさが失われること」と表現できると思います。

よくネットの現状を「無法地帯」と揶揄する人がいますが、むしろ無法地帯に近い方が、そこから何かが生まれる可能性――これを著者は「生みだす力」と呼んでいます――は大きくなるのだというのが本書の基本的な主張。この「生みだす力」の強さこそが、ネットに成功をもたらす一方で、現在の危機をもたらしつつあるとジットレイン氏は論じます:

このパターンでは、まず、一部の人たちが技術を構築していく。 動因は、利益もさることながら楽しみのためが多い。構築された技術は、まだ不完全な状態で共有される。その設計は、誰からの貢献や改良をも受けいれるものとなっており、広がるにつれて使う人からの改良も増え、改良が増えるにつれて広がってゆく。この良循環の結果、主流へと技術が押し上げられ、営利企業が参入して改良とパッケージ化を施し、その結果、さらに広く普及する。これがパソコンが情報端末を駆逐したときの流れであり、パソコン通信サービスをインターネットが駆逐したときの流れである。

その後、まずいほうへと流れが変わる。主流となって成功を収めた結果、技術の中核部分について特に能力も持たなければ寛容でもない人々、改善を共有するオープンな雰囲気など知ったことではない人々が流入する。技術を乱用したり狂わせたりすることに価値を見いだす人々、それを悪用しようとする人々も流入する。そして、乱用による被害や混乱が発生し、ユーザーは異なる選択肢を求めるようになる。

つまり不完全でオープンであるが故に、先進的ユーザーから多くの貢献を得ることができた。しかしそれが成功をもたらすと、逆に不完全性とオープン性があだとなり、悪意を持つ人々やリテラシーの低い人々が流入して混乱が生まれるようになった、というわけですね。そして様々な問題(例えば最近の米韓へのDDoS攻撃もその1つでしょう)が起きることによって、政府と市民の両者から「異なる選択肢」が求められるようになる――つまりより規制され、より自由度の低い、しかしセキュリティーの面では強化されたネットや端末(例えば iPhone も、様々なアプリが開発されつつも Apple の完全な統制下にあるという点で「ひも付き」であると指摘されます)が志向されるされるようになる、と。消毒され、ネットらしさを失ったインターネット。それは確かに安心・安全な存在になるかもしれませんが、これまでのような生みだす力を維持していくのはずっと難しくなることでしょう。

副題に「そして、それを避けるには」とあるように、本書の後半では、ネットらしさを維持しつつ問題だけを取り除く方法が模索されます。具体策も掲げられ、この部分も非常に価値があるのですが、そもそも「何でもあり」が価値と混乱の源泉であるというのが本書の主張。そちらの議論に説得力があり過ぎるために、逆に後半の議論に対しては「これで上手くいくのかなぁ」という不安を感じることがありました。生みだす力をなんとしても守るというのではなく、例えばアンチウィルスソフトを必要悪として受け入れたり、子供が持つPC・ケータイにはフィルタリングソフトを入れるなど、利益と不利益のトレードオフを行っていくというのが今後どうしても必要になっていくのではないでしょうか。確かにそれはインターネットを「不毛なシステム」に変えてしまうかもしれませんが、人間の創造力は新しい「肥沃なシステム」を生みだしていくはずだと信じたいと思います。

また本書はインターネットの性質を考えるにあたり、古くは電話の時代から最近のソーシャルメディアの時代に至るまで、長い歴史と多くの事例を対象として取り上げています。なぜネットがこれほどまでに統制の難しい性格・文化を持つに至ったのかについて、一定の理解を得ることができるでしょう。その理解はネットの未来を考える際だけでなく、新しいアプリやサービスをつくる際にも大きな手助けとなるはず。インターネットの中に存在する力学を理解するための、一種の理論書としての価値も本書は有しているのではないでしょうか。新書にはあり得ないほどのボリューム(訳者あとがきを入れて460ページ超!)なのですが、ぜひ多くの方々に読んでいただきたいと思います。

【○年前の今日の記事】

セカンドライフは時代遅れ? (2007年7月12日)
人生を走れ (2006年7月12日)

Comment(2)