2009年12月
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2006/05/05
「国家の品格」を書かれた、藤原正彦さんのお話を聞く機会がありました。数学者で有名な藤原さんが、「論理なんてどうでもいい」と仰います。
政治家のみならず、時として理系の頭のいい人たちの中に、「全て理論的に」と考えている人がいます。AならばB、BならばCといった具合です。では、元になるAは正しいのでしょうか。
藤原さんが問題を呈している論理の問題は、「出発点となるAは本当に正しいのか」ということです。Aが正しくなければ、B以降の理論が正しいほど、誤った答えを導いてくる、ということになります。
人と人の関係、地域と地域の関係、国と国の関係、全てにおいて理論だけでは成り立たない問題を含んでいます。特にその物理的な距離感が近いほど、その問題は理論だけでは成り立たないように感じます。
そしてそこが、コミュニケーションというものになるのだろうな、と。コミュニケーションは、時として理論では成立しないことがあります。自分が正しいと思っている、などはどうでも良く、「相手が不愉快に感じない」をスタートにすべき時もある、という考え方です。
「信念」は大切です。ただ、365日24時間、その信念を押し通さなくても良いのかも知れません。時として、居酒屋での会話のごとく、笑って聞き流す時があっても良いのかも知れません。
国家の品格、そして個々の人格。骨子になるのは、理論だけではないことを実感しました。
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コメント
こんにちは。確かに出発点が間違いであれば結論も正しくないでしょうね。著者の主張は理解できなくありません。ただ理論と情緒で適正なバランスを維持することも大事だと思うのですよ。情緒ももちろん大事だと思います。ただし理論も大事で、それが妥当なものとなるようにいろいろ努力することも大事だよね・・・というのが私のその本に対する感想でした。
私は現在、論理と個の国、フランスに住んでいるのですが、この本を非常に興味深く読みました。現在のフランスでは、(全体としてみると)論理と個人主義がうまくその道をみつけている気がしません。Emie Kayamaさんがおっしゃっているように、何事もバランスが大切ですね。これからの教育は、バランス感覚にも重視してほしいです。それには、個が確立されていることが前提になるとおもいますが。
>Emie Katayamaさん
>sueokaさん
コメントありがとうございます。
お二人の仰るとおり、何事もバランスですね。また、理論の通じない「場」が存在するもの事実だと思います。
sueokaさんの仰るとおり、教育にはバランス感覚を導入して欲しいですね。ゆとり教育などと言っていますが、本当に必要なのはそういう感覚だと思います。
確かに出発点が間違っていれば、どんなに論理的であっても意味がない・・・というのは分かるんですが、怖いのは、「論理なんてどうでもいい」という言葉だけが一人歩きしてしまうことかなぁと思います。
それに本来は、出発点の正しさも「論理的な正しさ」であることの一要素ではないかと。「筋道が正しければ、結論も出発点も正しい」はどう考えても論理的ではなく、「出発点と筋道が正しければ、結論は正しい」こそが論理的な捉え方ではないでしょうか。
・・・などと考えてしまう文系出身の私でした。
(ちなみに、「99.9%は仮説」を読んで、論理的と科学的の違いが分かりました。理系は科学的だとは思うのですが、必ずしも論理的ではないのではないかと最近考えています。)
>ProjectKさん
仰るとおりです。実際その番組では、その場面だけ繰り返していました。まるで藤原さんが、「論理なんてどうでも良い」だけを力説しているように見えてしまいます。
藤原さんの論点は、そこではない(はず)と思うのですが。
日本の大学ではない僕としては、理系・文系という分け方自体が、現代にマッチしていないように思っています。。。
これだけ学部等が増えているのですから、その2分類は無理があるだろう、と。。。
あの書籍を読み通せば、論理を全く否定しているのではないし、氏が説きたいところは、概ねあの書籍の主に後半部分だというのが読み取れると思うのですが。
「番組」というのは、TVでしょうか。何人かTV取材を受けた方の話を聴くと、予め制作側が全体のストーリーを概ね決めて、それに従って、編集、構成を仕掛けていくようで、取材される側の意図しない表現になることは珍しくないようです。
>TAGAさん
えっと、何事も0か1かではないと思っておりますし、僕も藤原さんが論理を100%否定している訳ではないことは何度も書いております。
テレビ取材についてはそれなりに知ってはおります。情報ありがとうございました。