国立大学の存在意義を問われる時代
事業仕分けで、国立大学への運営費交付金支給について、国立大学のあり方も含めて見直しされることになったようです。
国立大運営費に厳しい指摘 事業仕分け ー asahi.com
「じゃあ、なんで天下りがいるんですか?」そう蓮舫議員が仰有っている姿をテレビで見ました。
各大学は(国立のみならず)、文部科学省(以前は文部省)からの天下りを受け付け、その代わりに新学部設置の際にサポートしてもらうような仕組みが成立していたようです。しかし、それはいつまでも通らなくなってきているということですね。
が、一方で、生産性、バリュー、存在意義といった視点ばかりが強調されるのも、「大丈夫かな?」という根拠のない不安があります。なんとなく、ですけど。
文系の場合は最低17名、理系だと最低21名の専任教授がいることが、新学部設立の条件です。それに比べて、韓国では1名で新学部が設立できると聞いたことがあります。だから、簡単に作れる一方で、学生が集まらなければ簡単に止めてしまうこともできるわけです。
文部科学省は、そういうやり方は日本に合わないとしてきました。きちんと教養も教え、卒業までを見守る教員は専任教授1名では成り立たない、ということですね。
世界大学ランキング2009(QS World University Rankings 2009)では、日本の大学は22位でようやく登場します。(東京大学)
(ランキング基準は、All Aboutに河東さんが日訳されています。)
「日本の大学のランキングが低いじゃないか」そういう声もあるとは思いますが、その中でもランキング上位にいるのは国立大学だけです。22位に東京大学、25位に京都大学、43位に大阪大学、92位に名古屋大学、97位に東北大学です。
国立大学の運営には、天下りを含めて問題があるのだろうと想像できます。ただ、存在意義はあると思うんですよね。国立大学が無くなってしまうと、世界で100位以下のランクにしか私立大学は存在しないということになってしまいます。
以前竹中平蔵さんのお話を伺った際に「東京大学を私立にすべきだ」と仰有っていたことを思い出します。それは、ハーバード、ケンブリッジ、エールといった上位にいる大学すべてが私立であるから、私立のほうがもっと融通を利かせ、結果的に研究費を含めたお金を集めやすい、というような趣旨だったと記憶しています。
あるべき姿ばかりを追い求めることは難しいかも知れませんが、民間企業ではずっと前から行なわれていることです。ぜひ、世界から人が集まる大学であっていただきたい、と感じる今日この頃です。まとまりのない文章で恐縮です。