ミレニアル世代におけるいけ花のあり方
※2020年に国際生け花学会に寄稿したエッセイの転載です。
本エッセイでは、どうして一社会人である私がいけ花を習い続けているか、その効果をまとめており、同世代や次世代にももっと触れてほしいという想いで執筆しています。
私はいわゆるミレニアル世代(2,000年代に成人、社会人になる初代デジタルネイティブ世代)です。学生時代からいつも何かしらの危機感(将来のことを考えると、気持ち的にのんびりできない)があり、自分で稼ぎ続けるためにはどういうスキルを磨けばいいのか、将来像は何かというのを模索し続けているものの、時代の変化が激し過ぎて、ロールモデルがいないという状態でした。
強気な私は、それであれば新しい道を作るしかないという考えで、主にはWebやデジタルの業界で、同じポジションで女性がほぼいないなかで仕事に邁進し、ときにはまたときにメディアで自分の考えを情報発信してきました。言葉で表すと「がむしゃら」。そんな日々が続くなかで、ふっと本来の自分との距離に違和感がありました。今程はワークライフバランスや働き方改革が進んでいない時代、電車の窓でふっと映る疲れきった自分の姿、ときには失敗を経験し自己嫌悪に陥る日々、元々マイペースな性格にも関わらず自分にも他人にも厳しくなってしまうこと、その厳しさをコントロールできなくなってきていることなど。
そんな生活を送っているなかふっと、「仕事やプライベート以外のことも、例えばいけ花や茶道とか気分転換にやってみては」と家族から言われました。迷いがあると、人の言葉に従ってみようとなるのが人間の心です。すぐにどんなものか調べ始めたのが、今から約9年程前です。正確に申しますと、その言葉をきっかけに習い始めたのは、いけ花ではなくフラワーアレンジメントです。
茶道やいけ花は敷居が高いのではと考えて、よく行く駅近く街中で気軽に習えて、制作した後に家で飾れるというのはお得だなと本当に些細な理由で、フラワーアレンジメントを選びました。フラワーアレンジメント自体はとても楽しかったのですが、このまま年単位で習うのであれば、「その場限りの制作ではなく、花を用いて作るということを基本的なことから勉強をして資格を取っていきたい」と平行して習い始めたのがいけ花でした。
正直、最初は資格をとってどうしたいということはありませんでした。また、学業や仕事以外で私が取り組んでいたことと言えば、バレエ、テニス、ダンス、バレーボールなど、考えてみるとどれも人と競争していくことが必要な世界でした。自分自身に向き合って、自分を見つめるという世界観がなかった私は、いけ花の魅力に取り付かれました。ただ、初めから取り付かれていた訳ではありません。ほぼ寝ていない状態で、習い事よりも仕事の締め切りが、数字目標がなんて考えていました。
そんななかでもぼちぼちと続けていると、厳しさをコントロールできなかった自分が、コントロールできるようになってきたのです。一例で言うと、何かの事象で人に厳しく返してしまいそうなときでも、ひと呼吸置いてみてからレスをする、そうすると感情的なことはなくなり、論理的にレスができるようになっています。それはいけ花で言うと、自分では上手く生けているつもりでも、他人から見たら上手く見えない、それに気付いて工夫してひと呼吸置いて生け直して、最大限良い方向へ持って行く、そんな訓練から得たもののように考えています。
厳しい時代の変化に立ち向かっていかなければ行けないことは、ミレニアム世代であれば変えることができない事実です。ただ平行して先人の教えを学んでいくことは、人が抱えている何かの課題を解決ができます。それは私の抱えていた課題は一例であり、個人が抱えている課題は多種多様です。自分で経験して、自分でいつの日か解決できるように、いけ花を習うということを一つの選択肢としてみるのも良いかもしれません。