「意識高い系」は何者でもなくなってしまう?
少し前に出版された本にはなりますが、『「意識高い系」という病』という本を読みました。
「意識が高い」ことは悪いこともないですし、平日はビジネスセミナーや交流会を主催もしくは参加して、休日は仲間と勉強会や流行のビジネス書を読むことになどなかなかできることではありません。しかし、これを続けていっても、結果的に何者にもなれないのではないかなと思ってしまいます。
例えば、この本での「意識高い系」の学生とは、
・やたらと学生団体を立ち上げようとする
・プロフィールを盛る
・セミナーでの長い質問
・ソーシャルメディアでの意識高い発言を連発
・人脈をやたらと自慢
・やたらと前のめりの学生生活を送る
などです。
ああ、たまにいたなこういう人とは思います。
社会人になっても近しい傾向はあり、
・やたらと職歴、経歴を盛る
・人脈自慢
・流行のビジネス書を読む
などです。
流行のビジネス書を読むこと自体は、仕事のティップスや長年培ってきた成功事例を1,000円ほどで知れてしまうので、大変良いことですよね。ただ、意外と実践に活かしきれないことの方が多いです。数年前の状況を書いている訳ですし。仕事に生かすのであれば、古典ビジネス書や歴史書、漫画、週刊誌が役立ったりします。
また、よく「〇〇会社でトップセールスマンだった」系のことを聞くことはありますが、この〇〇という部分が同じ会社の人を何人かから聞いたことがあったり。結構何人もいるものなんでしょうか?出世をしたい・トップを目指したいのならいますぐ行動するべきだし、それよりも、世の中のが驚くサービスを展開したいのであれば今すぐ創っていったりする方が「意識高い系」が目指している「イケテル俺・私」になれる早道だと思います。
「意識高い系」それ自体は素晴らしいことですが、何よりも目的意識をはっきりさせないと、結果的には何か生み出している・前進していることはなく、目の前での動きではなく、未来だけを見ている場合が多数のようです。意識が高いだけでは、受け売りと意識が高いという自己PRをしているだけで、結局は何者にもなれないのです。
何者かになるためには、目の前の自分が好きなこと・得意なことを見極めるか、それが分からなければ、いろいろな経験をして見つけていくことだと思います。