“性善説” と “性悪説”
古く中国儒教の中心概念としてある“性善説”(人は生まれつき善だが、成長すると悪行を学ぶ)と、これに対して唱えられた“性悪説”(人は生まれつき悪だが、成長すると善行を学ぶ)。いずれも善悪が人間には備わっているので努力して正しいことをしなさいという考えであるが、人間の本質から言うとやはり、この世は“性悪説”だと私は思っている。(ここで言う悪とは欲のことを示す。つまり欲深いことが人間を悪行へ導くということ。) 私はこの世の中は本当にどこまで行っても残酷なところだと覚悟して生きている。世界は愛で救われる的な考えもあると言えばあるが(確かに事実かもしれない)、毎日世界中では考えたくもないくらいの悲しい事件・事故然り、私たちの日常生活でも些細なことから大きなことまで苦しい・辛いと感じることは多く存在している。「何故、こんな惨い事件が起きるのだろうか・・・」とニュースを見ながら考えることもあるが、それでもやはり悲しい出来事は今この瞬間も起きている。それを認めて受け入れていく他ないのが、この世の中なのだ・・・ と、私は覚悟している。
年々、その問題が増加していると言われる“心の病 鬱(うつ)”は、比較的に完璧主義であるとか真面目な人に起きやすい。何事に対しても、自分自身が求める理想に向けて頑張り過ぎてしまい疲れやすい傾向がある。自分の身の回りをさっと見渡してみても、仕事がうまくいかないとか、上司に怒られるとか、売上が悪いとか、忙しすぎて疲れるとか、人間関係でストレスを感じるとか、自分の外見にコンプレックスが強くあるとか・・・、ほとんどの人がどれかには必ず当てはまっていると言えるだろう。いわば、人は常に“苦”と共に生きていると言えるのである。
私の職場は、いわゆる”フリーアドレス”という形態で、ある程度それぞれ部署の場所は決まっているものの基本的には毎日同じところにデスクを構えなくても良い便利なシステムである。その一方で、普段関わりのない人が近くにいることもあり心知れたメンバーだけで構成されているオフィス環境と比べると、ややストレスを感じることがある。少しでも大きな声を出すと、それこそ30メートル向こうの人でもこちらを注目するくらいだ・・・。従い、自分のことをあまり知らない人たちの周囲の目が ”見られている” という感覚を生み、最終的には自意識を過剰にしているのである。人は誰しも、心のどこかで悪く見られたくないと望んでいるということだ。
しかし、よく考えてみるとストレスとは理想と現実とのギャップであり、その多くは自らが作り出している場合も多い。仕事などで成功したいと強く思うからこそ失敗したらどうしようとプレッシャーを感じるし、評価して欲しいと思うからこそ嫌われたくないと相手の眼に映る自分に過敏になり疲れてしまう。自分の実力や既存の事実自体は変わらないのに、勝手に自分への期待値や理想像を高くしてしまうことで、それに対する責任や重圧が自分自身を追い込んでいるように思える。新年度を迎えたこの時期に、新任の上司が体調を壊したり、新しい異動先の部署でやる気がでないなどの問題を目にすることがあるが、季節的なこの傾向もそう考えると理解できると思う。
では、その悩み種は減らしていけるのだろうか?一つの考え方として、悩みの発生メカニズムが、ある種、自分の勝手な“期待”という思い込みからくるのであれば、初めから過度な“期待”をしないということで気持ちの沈む落差を少なくすることができるのではないか、と私は考えている。冒頭で、私は性悪説を支持したが、これは実はこれまで多くの人と一緒に仕事をしてきて出会った悩みの多い人たちの共通点から学んだことだ。悩みが多く心が疲れてしまいがちな人は、傾向として悪い人はあまりいない。むしろ、とても優しくていい人が多い。そして、同時に自分以外の人もみないい人だ(もしくは、いい人であって欲しい)という気持ちが強い。だから、逆に現実としてネガティブな状況に直面した際に、落差が大きいのである。もし、初めから大げさに “この世は残酷だ” と想定し覚悟するとことができていたら、自分が日々直面するあらゆることに対して心の準備もできるかもしれない。誰かに言われなくても “世の中は厳しい” ということは皆知っているはずだが、本当にそれを覚悟していれば、自分に振りかかる試練もポジティブに潔く受け入れられるかもしれない。このような理由から、私はこの世は性悪説だと敢えて考えるようにしている。
その結果、私は幸いなことにあまり悩みがない。加えて言うと、もう一つストレスを減らす心構えとして、”フラットなテンション”がある。私は典型的な適当人間だというのも影響しているが、例えば、私は日曜日の夜に翌日月曜日の仕事のことを思い出して気持が沈むこともほとんどない。よく夕方6時半のサザエさんのオープニングを耳にすると憂鬱になる、いわゆる“サザエさん症候群”もほとんどない。逆にオンとオフの切り替えが下手と言われるかもしれないが、仕事をしている時も休んでいる時もテンションを常にできるだけ一定に保つことで、仕事と余暇の気持ちの落差をあまり作らないようにしている。何かを目前に憂鬱になるというのは、その何かを取り組むにあたりテンションを上げなくてはいけないからであり、逆に金曜日の夕方の心境は日曜日の夜の心境とは正反対なのである。どんなに翌日を迎えるのが嫌だと気持ちが沈んでいても現実には変わりがないのだし・・・と考えると気楽になれるのだ。 これもぜひお勧めしたい楽になる方法である。
と、ここまで都合よく勝手な理屈を書いたが、それぞれ皆さんも自分なりのストレス対処法を持っていて上手く対処していると思う。しかし、組織をまとめ、部下の成長を考えるマネージャーにとって一番大変なのは、いかにしてその対処法を伝え本当の意味で部下・組織全体の活性化をはかるか?という点だろう。 ということで、次回は ”いかにして人に理解してもらうか?" ということを書きたいと思います。