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IT業界でベンチャービジネスの支援をしている執筆者が日々の活動ログと感じたことを、徒然なるままに書き綴っていきます。

「エンジニアの学びと正義、そして未来を変えるということ」(濱田康貴氏)

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私が編集支援している濱田康貴氏のコラム最新号が京セラグループのKCCSキャリアテックで公開されました。

「エンジニアの学びと正義、そして未来を変えるということ」

興味がある方はご覧ください。

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前回はインフラエンジニアに「なる」ための学びと、その後の学びの段階について、守破離の原則を例に考察してみました。今回は、現実の学びの場という観点から、ITエンジニアの学びと正義、そして未来を変えるということについて述べてみたいと思います。
学びの自由とエンジニア

義務教育(事実上高等学校も含むことにします)では、学期や学年などある一定の期間内にどれだけのレベルで教養を身に着けて欲しいというノルマがあります。そこで求められるのは、できるだけ100点満点に近い点数を取ることであり、逆に言えばそれ以上は求められないということです。

と、偉そうなことを書いていますが、私は義務教育の間は勉強嫌いで劣等生の見本のようでした。
しかしある時、社会人になってからの学びは実は自由だということに、気がついたのです。それは

・学年や学期の縛りがなくとことん時間を使ってよい
・ある教材の100点満点を超える目標を持ったってよい

という、時間や質の制約がなくなるということです。もちろん、生きていくには、食べていくには仕事をしなければなりませんし、1日の時間の使い方は誰もが等しく有限ですから、学ぶことだけに人生のリソースを集中させるわけにもいきません。また、仕事上で必要なスキルのキャッチアップや資格試験の勉強も期限がありますから、必ずしも先に述べた2点が当てはまるとも限りません。

しかし、エンジニアは知的労働ですので、やはり学びの質と量が掛け算になって効果を発揮しますし、座学だけでなく、得た知識を使って目の前の課題を解決することで自身の血肉とできるのが面白く、一生の財産にできるのです。

(この続きは以下をご覧ください)
https://www.kcct.co.jp/careetec/column/2018/hamada/engineer-manabinojiyuu.html



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