「悩みを聴くとすぐアドバイスしたくなる」症状は治せないからコンピュータの力を借りよう
悩み相談について、よく言われることがある。
女性が相談に来たら、男性はアドバイスせずに共感だけをしろ
すぐアドバイスしたがるのは男性、特に年長者に多いようだが、女性でもその傾向はある。特に、年齢や社会的な地位が高い場合に顕著であるような気がする。
同僚の田中淳子氏がこんな書き出しでブログ記事を書いていた(「悩みを聴くとすぐアドバイスしたくなる」という症状)。
ロールプレイで、「パートナーの悩みを聴きましょう。ただ聴いて、掘り下げてさらに聴いて、時に共感して・・それだけでいいです。たった3分ですから。聴くことに専念し、アドバイスをしようとか、解決してあげようなどと考える必要はありません」と指示を出して、会話を始めます。
ほとんどの人は、訓練をしない限り、これがまったくできないらしい。私も自信がない。アドバイスはしないにしても、自分語りを始めそうである。
Eliza(イライザ)
相手の話を聞いて、それを掘り下げるのは大事なことだと分かっていてもなかなか実践できないものである。そこで、いっそコンピュータにやらせたらどうだろう。
精神療法のひとつに、対話を通じて自分自身を見つめる手法がある。基本的には患者に自分を語らせ、医師はそれを掘り下げるだけである。内容について深く知る必要はないため、コンピュータでもできるだろうと、一種のパロディのつもりで作成されたのが1960年代に作成されたEliza(イライザ)である。
MITのジョセフ・ワイゼンバウムが作成したElizaは、戯曲「ピグマリオン」(オードリー・ヘプバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」の原作)に登場する女性の名前に由来する。ロンドンの下層階級に育った女性イライザは、言語学者の協力で上流階級の言葉を身に付けるが、中身まで変わったわけではない。そこで、表面的な対応だけを行うプログラムに「Eliaza」と名付けたというわけだ。Elizaとほぼ同じプログラムが「doctor」という名前で広く配布されているので知っている人もいるかもしれない。
Elizaはたとえば、以下のようなやりとりをする(括弧内はプログラムの動作)。
- 「最近疲れやすいんですよ」
- 「どんな風に疲れやすいんですか」(状況を詳しく聞く)
- 「朝、身体がだるいんです」
- 「夜はどうですか」(「朝」という言葉が出てきたので対応する単語「夜」を出してみる)
- 「夜は大丈夫です」
- 「夜は大丈夫なんですね」(オウム返し)
- 「睡眠障害じゃないかと思うんです」
- 「睡眠障害についてもっと話してください」(分からない単語は患者に説明させる)
要するに、人間がタイプした文字を解析し、キーワードを抽出し、関連する別の言葉(たとえば朝といえば夜、父といえば母といった具合)を提示することだけで会話を続けるプログラムだ。キーワードがまったく登録されていない場合はオウム返しに聞き直す。
単なるパターンマッチングであり、コンピュータは何も考えていないのだが、これが実践的なカウンセリングに使えると評判になった。相手がコンピュータと分かっているのに個人的な相談を続けるのを見たワイゼンバウムは人工知能に懐疑的になった。
りんな
それで思い出したのが、マイクロソフトの自然言語対話サービス「りんな」である(口コミでじわじわ人気 マイクロソフトの女子高生人工知能「りんな」、LINE公式アカウント向けに法人提供)。
LINE版りんなは誰でも無料で試せるが、実はビジネス版がある。こちらは実際にコールセンターなどでの利用が検討されているそうである。たとえば、トランスコスモス株式会社は顧客サポート業務への応用を検討している(トランスコスモス、人工知能「りんなAPI for Business」の運用パートナーに)。コールセンターと顧客の会話は一般的なものから始まり、専門的な内容に入るのはかなり時間が経ってからである。そこで、一般的な部分を人工知能に任せ、特定のキーワードが出てきたら人間が対応することを考えているという。
先のElizaも、後ろに人がついていてカウンセリングのツールとして使うのであれば面白いかもしれない。あるいは、カウンセラーに対してカウンセリング技法の練習に使える可能性もある。
それにしても、下手に考えるより、なにも考えずに、相手の言葉を単純なルールに従って返す方が役に立つというのは皮肉な話である。もちろん、人間の価値は単純な受け答えのあとに構築される信頼関係にあるのだろうが、そこに至るまではむしろ何も考えない方が有益なのである。
りんな以前にもこの種のプログラムやアイデアはたくさんあった。アスキーは1984年に「Emmy」というちょっと色っぽいプログラムを発売していた。1958年に発表された星新一のショートショート「ボッコちゃん」では、対話システムを組み込んだロボット(ボッコちゃん)がナンバーワンホステスだった。客の言うことに反論せず、何でも受け入れてくれるのだから人気も出るだろう。
ちなみにボッコちゃんでは、彼女に入れ込んだ客が「心中してくれ」と迫り、衝撃的な結末に至る(有名な作品だからご存じの方も多いだろうが、マナーとしてオチは書かない)。
チューリングテスト
人工知能研究で最初にぶつかるのが「知能とは何か」という根本的な問題である。アラン・チューリングは、この問題に対してシンプルな案を出した。これは「チューリングテスト」と呼ばれ、現在でも「知能」を定義するひとつの見解となっている。
アラン・チューリングの1950年の論文、『Computing Machinery and Intelligence』の中で書かれたもので、以下のように行われる。人間の判定者が、一人の(別の)人間と一機の機械に対して通常の言語での会話を行う。このとき人間も機械も人間らしく見えるように対応するのである。これらの参加者はそれぞれ隔離されている。判定者は、機械の言葉を音声に変換する能力に左右されることなく、その知性を判定するために、会話はたとえばキーボードとディスプレイのみといった、文字のみでの交信に制限しておく。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械はテストに合格したことになる。
Wikipedia「チューリング・テスト」より
チューリングテストは単に外見を真似ただけであり、知能を表現するものではないという意見も多い。たとえば、Elizaやりんなは何も考えていない、つまり知能がないことは明らかなのに、チューリングテストをパスする可能性は高い。「知的な人間と同じ反応をするなら、それを知能と呼ぶ」と考えるのか「知能にはもっと深い何かがあるはずだ」と考えるのかは人工知能の研究者の中でも意見が分かれる。
私は「外界とのやりとりが知的に見えれば、それは知能である」と考えている。
プロ棋士は、最近のコンピュータ将棋に知性的なものを見出しているそうだが、それは機械学習、つまり何も考えずに棋譜を暗記する技術が取り入れられてからである。知性的でない手法を取り入れることで知性的に見えるのだから、Elizaのような単純なシステムは案外「知能」に近いのかもしれない。