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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

人工知能は絶対実現しない

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何度目かの人工知能ブームらしい。

私の修士論文は人工知能(談話理解)だし、入社後何年かは人工知能関連の教育コースを担当していたので、人工知能の問題について語る資格は少しくらいあるだろう。

「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉は、1956年の「ダートマス会議」で初めて登場したとされている。この言葉、英語ではかなり違和感があるらしい。「知能」は自然なものであり「人工」という修飾子はおかしいんだそうだ。しかしダートマス会議の参加者たちは、わざと違和感のある単語を選んだと聞いた。

そういえば手塚治虫のマンガ「鉄腕アトム」(1951年から連載)や、アニメ「スーパージェッター」(1965年から放映)では「電子頭脳」という言葉が使われていた。英語でも同様で「Electronic Brain」という表現があった。「電子頭脳」は、現在の「コンピューター」と同じ使い方だったが、「人工知能を搭載したコンピューター」を意味していた。それだけ簡単に「人工知能」が実現すると考えられていたからだ。

第1次ブーム

1950年代後半は米ソ(念のため書いておくと、米国とソビエト連邦のことである。ソビエト連邦は現在のロシアを中心とした連邦国家である)が宇宙開発競争を繰り広げていた。1957年に、米国に先んじてソビエトが人工衛星「スプートニク」を打ち上げたことで、米国の国防費と宇宙開発の予算が一気に増えた。いわゆる「スプートニクショック」である。人工衛星の打ち上げロケットと大陸間弾道弾はほぼ同じ技術なので、米国があわてるのも当然である。

そして、コンピューターを使った「機械翻訳」の研究に多額の予算が付いた(インターネットの研究が始まったのも同時期である)。主な目的はロシア語から英語の翻訳だったという。「生成文法」など、言語構造の分析に関する新しい理論が登場していたこともあり、最初の人工知能ブームが起きた。

しかし、満足な結果は全く得られず、1964年に機械翻訳の実用化はまだ先であるというレポートが出てから予算が急速に縮小し、第1部ブームは終わった。

それでも着実に研究は進み、現在は、さまざまな問題を含みつつも、機械翻訳は「無意味なもの」から「ないよりはあったほうがいいもの」に変わった。マイクロソフトのサポート技術情報の多くは機械翻訳で、なんとなく内容を理解する程度には実用的である。

面白いことに、現在は機械翻訳を「人工知能」と呼ぶ人は少ない。実用化されると「人工知能」ではなくなるのだ。

 

第2次ブーム

第2次ブームは専門家の知識を集約した「エキスパートシステム」である。エキスパートシステムは1960年代後半から登場し、感染症の診断プログラムMYCIN(マイシン)や、有機化合物の構造を推測する「Dendral」などが有名である。しかしブームになったのは1980年代である。特に、通産省(当時)の産官学共同プロジェクトである「第5世代コンピュータ開発プロジェクト」で、中心となった組織が1982年に設立された「新世代コンピューター開発機構(ICOT:アイコット)」である。

このプロジェクトは初期の段階から非常に多くの批判があり、世間的には「失敗」ということになっているが、私は必ずしもそうは思わない。述語論理に基づいたプログラミングスタイルや、並列処理ハードウェアと並列処理プログラミングなど、多くの技術的成果が得られた。

アプリケーションがなく、産業界にインパクトを与えられなかったことは確かなので、社会的に「失敗」というのは認めるが、技術的な成果は大きかった。

国家プロジェクトなのに、開発マシンに米国製コンピュータDEC System 2060を購入したのも画期的だった。人工知能研究の多くはDEC(現在は紆余曲折を経てHPに吸収)製のマシンを使っていたからだ。

世界的に見ると、エキスパートシステムについては開発よりも保守が問題視されるようになった。完成当初はある程度の力を発揮するのだが、その後の知識ベースの保守が困難ですぐに陳腐化してしまったからだ。それでも、知識があまり変化しないような分野では大きな力を発揮している。

そして現在、ルールベースの応答システムはごく普通に見られるが、誰もそれを「人工知能」とは呼ばない。

 

第2次ブームその後から現在

1990年代以降、コンピューターの処理能力が飛躍的に向上し、従来は使えなかったアルゴリズムが実用化されるようになった。たとえば、大量のデータを入力し、規則性を自動的に発見するような手法である。

技術的には人工知能の要素を含み、実際にチェスや将棋など、人工知能の研究範囲で成果を上げているが、これらを「人工知能」と呼ぶ人はあまりいない。チェスはプロに完勝し、将棋もプロに迫っている。実用化された技術は「人工知能」とは呼ばない。

ちなみに、コンピューター将棋の次の目標は「接待将棋」だそうである。手を抜いたことが分からないようなレベルで、気持ち良く人間を勝たせてくれるにはどうするかということだそうだ。そういえば、小説「2001年宇宙の旅」では、宇宙飛行士がコンピューター相手にチェスをする場合、勝率が半々になるようにセットされているという記述があった。あからさまな勝敗はゲームとして面白くないので「接待チェス」の要素が組み込まれているのだろう。

最近また「人工知能」という言葉が脚光を浴び始めている。今度は「機械学習」のようだ。機械学習にはさまざまな手法があるが、最近の流行はとにかく大容量の記憶装置と並列処理にものを言わせて、大量の計算をするようだ。さまざまな成果も出ており、期待できる。

 

人工知能とは何か

人工知能は、人間の知能を再現する学問である(これには異論もあるのだが)。しかし、何をもって知能とするかははっきりしないため、「知的な人の反応」を模倣することで代用する(ここにも異論はあるのだが)。

模倣のためのアルゴリズムがはっきり分かってしまうと、「機械的な反応」で代用できることになる。機械的な作業は、知的な作業とはみなされないため、人工知能研究の対象から外される。

現在は実現できないことを研究し、実現できると研究対象から外していくのが学術世界での人工知能の本質である(産業界の反応はこれとは少し違う)。

「人工知能の研究をいくらやっても、知能に追いつかない」と批判する人もいるが、そもそもそういうものである。あと5年もすれば「機械学習は失敗だった」と言う人が出るだろうが、失敗したことではなく、得られた成果を正しく見ていて欲しい。

KE-Cert
▲日本DEC(当時)の「ナレッジエンジニア養成コース」修了記念

数か月に及ぶ人工知能研修で、総費用が1人540万円だった。人工知能の概論から始まり、LispやProlog、OPS5などの言語研修を経て、専門家へのインタビュー技術、エキスパートシステム作成演習などが含まれていた。

私は全課程を修了したものの、社内受講だったので記念品はもらえないのだが、見本を作成するときに、たまたま受講していた私の名前が使われた。

その後、社長が代わり、見本としての意味を成さなくなったため、払い下げてもらった次第である。

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