体は疲れるけど頭は疲れない、のか?
私の恩師の一人がタイトルのように「体は疲れる。動かなくなるし筋肉痛になる。だからその前に頭を使え」と言っていました。
もちろん頭だって疲れます。オルタナブログで少し前に投稿されたこんなエントリを見たとき、私はそのことを懐かしく思い出しました。
「どうすればいいでしょう?」は言ってはいけない言葉の一つ!?:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/yasusasaki/2010/09/post-9998.html
こちらのエントリの中で佐々木さんは
「考える力」が要求されている世間の変化を感じるんですよね…なんとなくですけど
と仰っています。世の中に出て仕事をしていると、考える力を要求される場面ばかりです。そうしていると、考える力(または時間)が足りなくなってしまうように感じられることもあります。
考える力は自分のためや自分と利害の深い人のために使いたいと思うようになれば、自然と重要でない仕事について「どうすればいいですか?」と他人に投げてしまうようになる、そんな現象が起きつつあるのではないかと感じます。また、自分が考えることを要求されない場面を数多く経験すれば、「どうすればいいですか?」と聞くことが習慣になってしまうことがあるかもしれません。
最近、お客様との話の中でも「オペレーション」とか「ワーク」いう言葉を使う機会が増えてきました。これらは頭を使う「仕事」ではなく、とにかく手を出せばやっつけられるというニュアンスを多く含んでいます。「ここは”オペレーション”にしてしまおう」といえば考える力を費やさずとも進められるよう情報システムによる支援を行ったり、社員とパートという組み合わせで回るような業務設計にしたりということを意味します。(必ずしも非正規職員にさせる仕事にするというケースだけでなく、自分自身の仕事内容を簡素化しミスを減らすというケースも少なくない)
私の恩師は頭を使わないと能率の悪い動き方、働き方になって体が疲れてしまう。だから体を動かす前に少し頭を使って時間とか無駄を節約しようということを口癖にしていたのですが、頭を使う前にも少し頭を使って頭を使う総量を減らす必要があるのかもしれません。
しかし往々にしてそのようにしたタスクの入り繰りは思いもよらぬ不安定要素によりめちゃくちゃにされがちです。一人の意思決定のもと、何十人や何百人もの「オペレーション」が粛々と行われる場面では、取り返しの付かないような事態になることもあるやもしれません。
世の中が混迷する今、不安定要素が多い中では多少のムダというかバッファを準備しておいて、少しくらいは体や頭を無駄遣いしたとしても損の少ない安全策をとることが重要なのかもしれません。(ミニマックスに。)