若い社員に「"問題"とはどういう定義でしょうか?」と聞かれてあなならどう答えますか?
日経ビジネスオンラインでは「しゅんぺいた博士と学ぶイノベーションの兵法」という連載が開始されたりfacebookでシェアされているネタや仕事に関わる現場で「イノベーション」や「改革」という言葉に接しない日がほとんど無いのでは?と想いつつ、この手の会話をしている中で「イノベーション」「改革」という言葉の定義が百人百様だと感じています。
「経営の勉強なんかやって役に立つの?」という意見をいただく事もありますが、自分としてはMBAというスキルを身につける事で、すくなくとも同じ教育を受けた人との共通スキルを持てることの優位性があると考えています。
つまり、同じ言葉を使っていてもそこの定義、解釈が違う人間同士が仕事をしても非効率ですが、ベースとなる知識体系が同じもの同士が組むことで効率性が高まるという認識です。
自分は中高年と分類される歳で経営学やマーケティングを学ぶところに身を投じた訳ですが、そこで接した問題解決の考え方やクリティカル・シンキングの講義でも言葉の定義の重要性を感じています。
我々バブル世代へのビジネス世界での風当たりはロクな試験もなく就職が決まった時代なだけに非常に厳しいものがあると認識しています。
さらに1980年代後半からこの2015年までに社会は大きくパラダイム変革を遂げており、終身雇用・年功序列が崩れつつある現代ですが、バブル世代社員が自己学習せずに成果を出せないおっさんになっているとするのだとすると、世間からの批判は妥当と言えるのかもしれません。
「でも、ちゃんと給料分の仕事はしてるぞ!」と言うおっさんもいるでしょうけど、日本企業は終身雇用前提の人材育成をしている場合がほとんどであり、A社の社内スキルがB社で同じだけ評価される保証はまったくありません。A社で部長やってた人がB社に転職しても「おまえ、こんなこともできねえの!?」とdisられて終わるケースがほとんどでしょう。
大学のカリキュラムで経営系のコースで問題解決手法などを教えるようになってどの程度の年数が経過しているのか把握していないのですが、バブル世代が大学や社会に出てからこれらのスキルを学ぶ機会は提供されているのでしょうか?
ロジカル・シンキングとは違いますが、80年代フジテレビの深夜枠でディベートを扱った番組があったのを記憶していますが...
これは推測ですが、80年代に受けた教育のナレッジしかない人がミドル・マネジメントとして働いているとすると非常に残念な結果を生み出しているかもしれません。
どういう事かというと、若い人たちがロジカル・シンキングなどのスキルをせっかく大学で学んで身に着けてたとしても、言葉の定義がずれており適切なコミュニケーシンが成立しない、上司がそのスキルを理解できない、活用できないことが容易に想像できるからです。
若い社員に「"問題"とはどういう定義でしょうか?」と聞かれてあなならどう答えますか?
そして、冒頭申し上げたようにイノベーションや改革という単語が日常的に利用されていますが、「改善問題」と「改革問題」の違いを適切に説明できますか?
シュムペーターの「経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究」に書かれた、
郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによってけっして鉄道をうることはできないであろう。
という言葉をご存じの方は多いかと思います。同書を読んだ方には
旧いものは概して自分自身のなかから新しい大躍進をおこなう力をもたないからである
という指摘を思い出していただきたいと思います。更に、本当の組織の変革者は辺境から現れるという「辺境の創造性」の事を考えると「改革」というのはそんなに簡単ではないことがわかるはずです。
皆さんの周りにも、漸進的な取り組みしかしていないのに「改革」という言葉を気軽に使っている人がいたりしないでしょうか?
経営戦略論の授業を受けるために、担当になった学生がレジュメ作成を行うのですが、自分の担当した「戦略と組織のイノベーション」のセクションをまとめながらふと思ったことを書いてみました。