放射能発言が「虚報」ならマスコミは検証とかすべきだろうし、当事者の鉢呂氏も適切な主張をしたほうが良いんでないの?
この記事を読んだのですが、鉢呂前経産相結論からいえば、鉢呂氏は「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していないってことで、上杉さんは以下のように書いています。
つまり、マスコミが勝手に自ら言葉を発して、何も語っていない政治家の話した言葉として勝手に報じて、勝手に責任を追及し、デマによって世論を煽り、ついには大臣を辞めさせてしまったというだけの話なのだ。
なんとばかげたことだろう。とても民主主義国家のメディアの仕業とは思えない。根拠のないデマによる集団リンチであり、ジャーナリズムの自殺行為だ。
しかも、そうした事実が明らかになった現在もなお、どの社も鉢呂氏に対して、訂正も謝罪もしていないという。ぶら下がった記者の中には密かにICレコーダーで録音し、完全にすべてを理解しているにもかかわらずである。
卑怯、ここに極まれり、といった感である。
この件についてはオフレコ報道だった?みたいな話しの流れもその時にあったりした訳で、自分としては実際にこういう発言をしていれば、時期も時期だけに何かしらの批判はされてもしょうがないのでは?というスタンスで当時こんなエントリを書いていた訳ですが、
実際のところまったく「放射能」発言が無かったのだとすると、この騒ぎ本当になんだったのでしょう?(苦笑)
マスコミとの付き合い方を間違えると閣僚辞任になってしまうというのは、権力者への増長抑制、警鐘になるでしょうけど、それにしても発言していないことでそこに追い込まれてしまうというのは何かしらの危険性をはらんでいますよね。
メディア対策は、事実ではなく、どんな風に見えるかをいかにコントロールするかが大事って考えもあるでしょうから、そこの見地からすると別な意見も出てくるでしょうけど、事報道って分野に関連した場合、どうなんだと、、、
ただこういう状況になってしまうと一般庶民は何が事実で、何がウソだったのか、全然分からなくなりつつあり、松本サリン事件じゃないですが、今後この件で報道した側の検証番組などが企画・放送されたりしないか?と思ったりしつつ、記事ではこんな指摘もされています。
放送に関してはBPOに訴えるのもよし、あるいは名誉毀損で裁判を起こすのもよし、いずれにせよ、こうした卑怯な振る舞いに対しては断固とした措置を講じるべきなのである。仮に、こんな卑劣なデマ報道が許されるとしたら、それはジャーナリズムのみならず、民主主義の死を意味する。
wikipediaの「虚偽報道」の項目では、従来、誤報の文脈で語られることが多かったが、誤報が過失によるものであるのに対し、虚偽報道ないし虚報は故意に行われるものであると記載されていて、今回の件がマスコミによる「虚報」だとすると、当事者の鉢呂氏が「もう、大臣を辞めてしまったからいい」って何もしないまま終わってしまうのも何か釈然としないモノを感じつつ、
執着し過ぎるのも見苦しいですけど、国家の閣僚という仕事を経験するような人物においても、持論の主張をちゃんとせず、物事に執着しないタイプになってしまっては、これまた社会として問題あるような気がしてます。