野暮も極めれば“粋”になる
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野暮も極めれば“粋”になる、、、、
音楽とかデザインなど俗に言うクリエイティブ系の仕事において「粋」とか「洒落た」というような感覚的な部分って訓練でなんとかなる部分もあるけれど、生まれ持った才能の凄さを目の当たりにすることもあったりします、、、、
自分の能力を超えているものを見たり、聴いたり、知ることで、自分の足らない部分や、野暮ったい面を改めて突きつけられることで、かなり凹むことも多々あるのですが、極める=継続する、ということで人間はかなりの能力を引き出すことが出来ると思いたいですね。
IT関係と言われる仕事を初めてから10年かそこらですけど、楽器のほうは25年以上触っているわけで、40過ぎた今、「こんな風に弾けばよかったんだ、、、、」とか、個別のテクニックというよりは表現の面で新たな発見をすることが多く、これも継続していたからこその気づきだと思うと何か妙に嬉しかったりします。
何事、意識しているようじゃまだ本物とは言えないのかもしれませんね、、、意識する間もなく身体が反応するとこまで持っていかないと野暮も極めればの“域”には到達できないんだと思います。
ミュージシャンも、零細制作会社の社長業も、お客様からお呼びが掛かってなんぼの商売、やれるうちはやるしかないって、これまた当たり前な事書いてますけど、昨晩はいろいろな方とお話をする機会があり、刺激を受け、あらたにすはどうなっているのかは未確認な状態ながら、仕事に対する想いを新たにした佐々木でした(苦笑)
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