イノベーションとIoT ―― 桜の季節に思うこと
すっかりご無沙汰してしまいました。
気がつけば桜も満開を過ぎ、すでにはらはらと散り始める時期を迎えております。
桜といえば、ソメイヨシノはソメイヨシノ同士で受粉・結実した種子では発芽せず、世にあるソメイヨシノはすべて接木等によって増やされたもの、すなわちクローンだそうです。
したがってすべてが同じDNAを持つが故に一斉に開花し、一斉に散ることになります。
風景としてはまことに雅で美しいのですが......人や企業もそうだと、なかなか困ったことになりますね。
最近受けたインスパイア
最近、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」、略して「もしドラ」の第2弾、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら」を読みました。
略して「もしイノ」と呼ぶらしいのですが......それはちょっとどうなんでしょう。
小説自体の出来は悪くないのですが、私見ではそれでもやはりご他聞にもれず初作の方が優れているように感じました。
やはり初作はその発想自体に価値があり、第2弾となるとどうしても発想の陳腐化は避けられません。
話の展開のダイナミズムも、予想が付いてしまうだけに色あせて感じられてしまいます。
ただ、これはあくまでも私見です。
エンターテインメントとして十分及第点とは思いましたので、まだお読みでない方もご興味あれば是非。
とまれ、これをきっかけにして久しぶりに種本である「イノベーションと企業家精神」をも読み返しました。
こちらはやはりすばらしい。
とても20年以上前に書かれたものとは思えません。
今でも十分以上にテキスト足りうる価値があります。
また、先月2つのカンファレンスでIoTに関するセッションを2つ聴講しました。
1つは株式会社セールスフォース・ドットコムの川原社長のセッション、もう1つはこの講演のあと、シスココンサルティングサービスから株式会社ウフルに移られた八子知礼さんのセッションです。
お二人のセッション、それぞれ内容はもちろん異なるのですが、キーとなるメッセージは同じ。
すなわち、「間違いなく今年からIoTの潮流が本格化するが、IoTという『商品』を扱う意識ではダメ。IoTを用いてどういう『イノベーション』をもたらすかをイメージしないと成功は覚束ない」というものでした。
まったく同感です。
本来、IoTに限らずICT技術すべてについていえることだと思いますが、技術は手段に過ぎません。
価値があるのは、その技術を用いた「変化」にあります。
ところで、この「イノベーション」という言葉、それに「IoT」という言葉も、最近随分と陳腐になってしまったように感じます。
概念の価値自体は陳腐化するどころかますます重要になっているのですが、言葉だけが氾濫してしまっている、そんな印象を受けるのです。
言葉というものはきちんと理解しておくことがとても重要です。
私自身もこのブログで、たびたび「イノベーション」という言葉を使ってきましたが、最近のこれらの刺激を元に、もう一度この2つ、イノベーションとIoTについて、自分なりに整理してみたいと思います。
イノベーションとIoT
「イノベーション」というと、とかく「技術」の「革新」という文脈で語られますが、その本質はあくまでものごとの変化にあります。しかも非連続的な変化です。
外部環境が大きく変化を起こす時代には、従来の延長線上にある連続的な変化では生き残れないことになります。
ゲームのルールが変わってしまうからです。
例えばiPodが、CDのようなパッケージ媒体を必要としない「配信」という新たなチャネルで音楽ビジネスのルールを変えてしまったように、誰かが起こした「イノベーション」がこの外部変化を誘起することもあれば、人口の減少という社会的変動によって労働力の総量の減退という外部変化が自発することもあります。
いずれにせよ、ルールが変わったフィールドで、従来の延長線上の改善では早晩通用しなくなることは自明の理です。
ここで生き残るためには、これまでの内部のルールを変え、非連続的に変化することが求められます。
この手段として大きな力を発揮するのが、新たな技術というわけなのですが、実は必ずしも「本当に」「新たな技術」が不可欠というわけではありません。
「新たな技術」に見えたとしても、紐解いてみるとその実は従来の技術の模様替えということが良くあるのです。
例えばSNS。
mixiが台頭してきたとき、Facebookがまだ海の向こうで盛り上がりを見せ始めたとき、SNSという言葉もまた、世に広がりを始めました。
最初、私自身このSNSという言葉を理解するのに、少々時間がかかりました。
自分で使い始めてみて、まず感じたことは「あまり新し味はない」ということでした。
既存の技術、「ブログ」と「BBS」と「メール」をひとつにパッケージしただけじゃないかと。
SNSは「新たな技術」ではなく、「新たな概念」あるいは「既存技術の新解釈」であるというのが私の結論です。
しかしこのSNSという「新しいもの」は確実に世のコミュニケーションのあり方に変化をもたらしました。
間違いなく「イノベーション」であったと思っています。
それは技術そのものではなく、技術の使い方、組み合わせ方の新たな発見によってもたらされたイノベーションです。
同じように、考えてみれば「クラウド」という概念も、既存技術の新解釈といえるでしょう。
今はSaaSと呼ばれる、ソフトウェアをサービスとして提供するというビジネスは、かつてASP(Application Service Provider)と呼ばれましたし、IaaSという概念とかつて「ホスティング」と呼ばれたサービスを明確に線引きすることは難しいように思います。
このように、イノベーションとは、「新たな技術」によってもたらされるのではなく、「新たな解釈」とそこから生まれる「新たな概念」によってもたらされるのです。
そしてIoT、これもまた、既存技術の組み合わせの応用によって新たな可能性を見出そうとする概念です。
IoTの諸要素の内、ソフトウェア面では新規性は実はそれほど大きくありません。極論すれば情報がどこから来るか、の違いだけです。
技術革新があるとすればセンサーの小型化と多様化、電力消費の省力化でしょう。
ソフトウェアよりハードウェア的なところが大きいと思っています。
したがって、「小型化・省電力化・高性能化し、従来難しかったところに設置し得るようになったセンサー群から、自動的に情報収集が可能となった」という事実を、どう変化に結びつけるか、そこにイノベーションの核があるわけです。
IoTそのものは技術の形態であり、単体ではイノベーション足りえません。
「IoTを用いて何をもたらすか」に価値があるわけです。
しかし発想の飛躍というものは、内部からは起こりにくいのも確かです。
また、新たな概念の理解がないと、「既に可能になっていること」を既成概念のままに「不可能なこと」として最初から発想の外においてしまいがちになります。
以前のエントリーで、今後のクラウドを機軸にしたICT利用では、共創が重要と申し上げました。
内部で起こっているコト、については、言うまでもなく内部にいる方以上に理解している人はいません。
しかし内部にいるからこそ、外部環境に照らし合わせての身内に潜むリスクには気づきにくいことも確かです。
我々クラウド・インテグレータの役割は、そういった外部環境の変化を情報としてお伝えし、外部からの解釈として内部のリスクを明らかにすることが大きな役割のひとつだと思っています。
新たに可能になったことがらをもって、いかにそのリスクを解決するか、その方法を提示し、評価していただく、そのサイクルが、「イノベーションの共創」につながると信じています。
そのためには、我々提示する側は、「こういうセンサーでこういう情報が集まります。使えますか?」という技術の評価ではなく、少なくとも「こういうセンサーでこういう情報を集め、結果としてこういう変化を起こせます。価値を認めますか?」という変化の評価への問いかけをしなければいけないと考えています。
同じDNAを保ち続けるが故に、ソメイヨシノは変わらぬ美しさを保つことが出来ています。
しかし、もし昨今の気象環境変化が進み、日本が彼らの生存に適さなくなれば、一瞬にして全滅という宿命を負っています。
我々は変化の中に生きている以上、ソメイヨシノと同じ生き方は出来ません。
変わり続ける環境に対して、イノベーションという進化で適応していかなければならない宿命を追っているのだと、最近切に感じます。