Googleが発表した量子超越性の意義と今後の展望
Googleが発表した量子超越性の意義と今後の展望についてQA形式でまとめました。
まずは前提知識を得るための「量子コンピューターに関する質問」から始め「量子超越性に関する質問」に展開していきます。前提知識無しで量子コンピューターの今を手っ取り早く把握いただける内容になっています、是非ご一読ください。
量子コンピューターに関する質問
質問 : 量子コンピューターとは何ですか?
量子力学の原理を利用したコンピューターを量子コンピューターと呼びます。
注目される理由
今のコンピューターが苦手な処理を、高速に処理できる可能性があり注目されています。
質問 : 今のコンピューターが苦手な処理とは何ですか?
今のコンピューターは「効率的なアルゴリズムが無く、候補を総当たりで試していくしか無い処理」が苦手です。
組み合わせ爆発
総当たりの場合、入力データの桁数が増えると、倍々ゲームで候補が増えていくため、一定の桁数を超えると「現実的な時間で処理を完了することが出来なくなる」のです。この状況は組合せ爆発と呼ばれています。
質問 : スーパーコンピューターならできるんじゃないですか?
世界最速のスーパーコンピューターでもこの手の処理は手に負えません。
今のコンピューターが苦手とする処理の代表例である因数分解と、効率的なアルゴリズムが存在する最大公約数の計算が80桁の数を処理する場合で比較してみましょう。
80桁の数を処理するのに必要なステップ比較
最大公約数の計算
- 効率的アルゴリズム : ユークリッドの互除法
- 必要ステップ : 最大 720ステップ
因数分解
- 効率的アルゴリズム : 無し(候補総当たりの力技的なアルゴリズム)
- 必要ステップ : 最大 100穣ステップ (100穣は1000兆 x 1000兆)
効率的アルゴリズムが無い因数分解の場合、80桁の数字の因数分解に100穣という膨大な処理ステップが必要となります。これを完了するには、スーパーコンピューターでも宇宙の年齢以上の時間がかかります。
質問 : どうして量子コンピューターだと高速に処理できるんですか?
量子力学の原理を応用して、効率的アルゴリズムを作れる可能性があるからです。
その原理の超概要を説明してみます。ポイントは「量子ビット」と「量子アルゴリズム」です。
量子ビット
量子コンピューターの場合、処理対象のデータ全てを量子ビットに(重ね合わせという量子特有の状態で)格納することができます。
イメージを掴んでいただくためExcel風に表現すると
因数分解の総当たりデータの格納方法をExcelで例えると
- 現在のExcel : 100穣行に格納 (1行に1候補が入っている、常識的な状態)
- 量子Excel : 1行 (100穣の候補が1行に入っている、重ね合わせの状態)
*重ね合わせの状態が直感的に理解できなくても心配はいりません。この世の誰も直感的に理解できない、それが量子の世界です。そういうものだと思って受け入れてください。
量子アルゴリズム
重ね合わせ状態から正解データを取り出すために必要なのが量子アルゴリズムです。
量子アルゴリズム無しでは役に立たない
重ね合わせ状態は、隔絶された量子の世界でのみ存在します。何も考えずに外からデータと取り出そうとすると、重ね合わせ状態は崩れ、格納された全候補のうちの1つがランダムに出てきます、これでは何の役にも立ちません。
処理目的に応じた「うまいアルゴリズム」を作り、量子の世界で動作させることで、正解データを取り出す(アルゴリズムによっては高い確率で取り出す)ことが出来ます。
色々な量子アルゴリズム
一番最初に作られたドイチュ-ジョサのアルゴリズム、データ検索を行うためのグローバーのアルゴリズム、因数分解を行うためのショアのアルゴリズムなどが有名です、その後色々なアルゴリズムが考案されています。
ここでは非常に大雑把に量子コンピューターの動作原理を説明しました。さらに詳しく知りたい方にはこちらの書籍 (量子コンピュータとは何か) がお勧めです。
質問 : 量子コンピューターはいつ頃実用化されるのですか?
量子コンピューターは着実な進化を続けていますが、実用化までにはまだ長い道のりが残っています。実用化に向けて必要なチャレンジを、量子ハードウェア、量子アルゴリズムの観点から説明します。
量子ハードウェア
量子コンピュターを作るにあたっては、エラー制御など量子特有の考慮事項があり、工学的に難易度の高いチャレンジが必要です。
量子コンピューターは、今のコンピューターが組み合わせ爆発でお手上げになる程度の桁数を安定して扱えるようになった時その真価を発揮します。
そのためには、大規模でエラー耐性を備えた「エラー耐性量子コンピューター」が必要ですが、その出現にはまだ時間が必要という状況です。
現在の技術で作ることができるのは「53量子ビット、エラー耐性無し」までで、これは中規模でエラー制御がないことから「NISQ量子コンピューター」(NISQ:Noisy Intermediate-Scale Quantum Computer)と呼ばれています。
量子アルゴリズム
量子コンピューターを活用するためには、目的に応じた量子アルゴリズムが必須です。
今ある量子アルゴリズム (前述のグローバーのアルゴリズム、ショアのアルゴリズムなど) は、現時点の技術で作ることができる「53量子ビット、エラー耐性無し」では今のコンピューターを上回る性能を発揮することができません。これらはエラー耐性量子コンピューターが出現して初めて真価を発揮すると考えられています。
当面は、将来的なエラー耐性量子コンピューターを見据えながら、実証実験はNISQ量子コンピューターを前提に行う必要があることから、量子アルゴリズム開発は下記2つのアプローチの並行展開が予測されます。
NISQ量子コンピューターが価値を産む適用分野と量子アルゴリズムの開発
耐性量子コンピューターを見据えた量子アルゴリズムの開発
質問 : D-Waveという量子コンピューターについて教えてください
当記事では「量子ゲート方式」と呼ばれる量子コンピューターについて説明しています。量子コンピューターにはもうひとつ「量子アニーリング 方式」と呼ばれるものがあり、D-Waveマシンがその代表です。当記事ではここをカバーできていませんが、D-Wave、量子アニーリング についてはこちらの書籍 量子コンピュータが人工知能を加速する で第一人者による非常に分かりやすい説明がされているのご一読をお勧めします。
量子超越性に関する質問
質問 : 量子超越性とは何ですか?
量子コンピューターを使って、どんな処理でもいいから、今のコンピューターでは不可能な圧倒的パフォーマンスを示せば、それが「量子超越性」です。
質問 : どんな処理でも、とは?
「現実世界では全く役に立たない処理」も含むと言うことです。
質問 : 現実世界では全く役に立たないテストに意味があるのですか?
実際の量子ハードウェアを使って「量子超越性」を実証することには大きな意味があります。
量子コンピューターの持つ高いポテンシャルは、論理面では疑いが無いものですが、先ほど述べた、工学的な難易度の高さのため「本当に今のコンピューターを上回る性能を発揮できるものが作れるのか?」というのが大きな懸念でした。
それを実証すると最終ゴールに向けた一つのステップになるという意図でJohn Preskill教授が考えたのが「量子超越性」Quantum Supremacyです。
スポーツに例えると
「大器晩成型で、まだまだ実戦では使えない未完の逸材」が量子コンピューターで、「その逸材の現時点でのポテンシャルを示し、今後の育成ステップにつなげるための指標」が量子超越性と言ったところでしょうか。
質問 : Googleはどうやって「量子超越性」を実証したの?
今の技術で作ることのできる「53量子ビット、エラー耐性無し」の量子コンピューターを使って、従来型のコンピューターを上回れる処理シナリオを上手に設定して「量子超越性」を実証しました。
Google発表の量子超越性
スーパーコンピューターが1万年かかる「ランダム量子回路サンプリング」の計算を、53ビットの量子プロセッサー「Sycamore」で200秒で計算し「量子超越性」を実証したとしています。
質問 : 今回の「量子超越性」の実証は現実社会に影響与えるの?
量子コンピューターの実用化にはまだまだ時間がかかります。今回の実証結果を使って、直近で実世界で活用できるものが生まれてくる訳ではありません。
ただし大きな可能性を持ったテクノロジーの実現にむけた、長い道のりの一つのステップを超えたという点では大きな意味と影響ががあります。
「量子超越性」を考えたJohn Preskill教授は、"Googleによる「量子超越性」は大きなステップである、しかし実用化への道のりはまだ遠い、これから数年は限られた量子ビット数(~100)とエラー耐性の低い実装で可能なことを考え進んでいくことになるだろう" と述べています。
質問 : 「量子超越性」のニュースが流れると同時に「そろそろ仮想通貨が危ない」という記事も出てますが、危ないんですか?
それは、デマです、全く心配する必要はありません。
仮想通貨で使われている暗号基盤などの仕組みは「因数分解のような組合せ爆発を起こす処理を、現実的な時間内に行うことは不可能」という前提に立っています。
これは量子コンピューターの得意な処理なので一見危なそうに見えますが、今の技術で作ることができる「53量子ビット、エラー耐性無し」の量子コンピューターでは現在の暗号基盤はびくともしません。
暗号基盤を脅かすような量子コンピューターが登場するには、少なくとも10年以上はかかるでしょう。
そんな事態になったら仮想通貨だけでなく、現在のデジタル世界の暗号基盤全てに影響を与えます。暗号通貨だけを特定して、その危険性を謳うのは不自然です。
もちろん、今後の技術の進歩を見据えた対応は必要です。おそらくそれまでには新たな暗号化基盤が実用化されていると筆者は考えます(例えば量子暗号など)。
質問 : 今回のGoogleの結果に対してIBMが見解を出しているようですが
IBMのブログを要約すると「量子超越性の定義的に該当しない。量子超越性という言葉で世の中に誤解を招かないようにしよう。」という内容になっています。
量子超越性の定義的に該当しない
IBMはブログで「Googleはスーパーコンピューターで1万年かかる処理を200秒でと言ってるが、遅く見積もっても2.5日あればできる、これは量子超越性の定義である『今のコンピュターに出来ないことを行う』には該当しない」と述べています。
量子超越性が「開発における中間指標的なもの」であり「明確な定義があるわけではない」ので第三者にとっては「該当する、しない」自体にあまり意味がないと筆者は考えます。
量子超越性の言い出しっぺのJohn Preskill氏はブログで「鼻先の差じゃなくて、圧倒的な差をつけて」という意味合いだったと述べています。これをどう受け取るかは各自の判断です。
超越性(Supermacy)という言葉が生む誤解
IBMはブログで「量子超越性という言葉が量子コンピューターに対する過剰な期待や誤解を生じることへの懸念」を示しています。
これは重要なポイントであると筆者は考えます。革新的なテクノロジーは、その革新さ故に過剰な期待、誤解を生じがちで、それがテクノロジーの健全な発展の阻害要因になる可能性があります。
この点でIBMの問題提起には大きな意味があると思います、IBMの次の一手に注目したいと思います。
こちらも合わせて
ハーバービジネスオンラインに掲載いただいた記事です。違った角度で量子コンピューターと量子超越性について記していますので、ぜひご一読ください
「暗号通貨は大丈夫?」Googleが実証した「量子超越性」の意義と「都市伝説」
作者について
鳥谷健史(Twitter ID:@kenrohmiyoshi)
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日本アイ・ビー・エムで勤務を経て独立、フリーのITコンサルタントとして活動中。企業へのコンサルティング活動を行う傍、技術コミュニティー"越境するテクノロジー"主催、分科会 "ゼロから始める機械学習" では技術者育成情報提供中。
参考文献
[1] Quantum Computing and The Entanglement Frontier John Preskill
https://arxiv.org/pdf/1203.5813.pdf
[2] Why I Called It 'Quantum Supremacy' John Preskill
https://www.quantamagazine.org/john-preskill-explains-quantum-supremacy-20191002/
[3] On "Quantum Supremacy" IBM
https://www.ibm.com/blogs/research/2019/10/on-quantum-supremacy/
[4]Quantum Computing in the NISQ era and beyond
https://arxiv.org/pdf/1801.00862.pdf
[5]戦略プロポーザル みんなの量子コンピューター
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2018/SP/CRDS-FY2018-SP-04.pdf