ためらいや思い留まりはその躊躇の期間に得たプラスがある反面時間軸では明らかにビハインドを負う
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思えば、これまでたくさんの後悔をしてきた。
その原因というか、どうしてそうなってしまったんだろうとふりかえったことがあるが、大体にして、
ある閃きを得ているにもかかわらず、ためらいや思い留まりをしてしまったがために、
その躊躇の期間に得たプラスはある反面、時間軸では明らかにビハインドを負った。その結果、どうしようもないマイナス・エフェクトを背負い、そして、一通り事が終わったあとに、大きな後悔が残った。
・・・そんな感じです。
何でもKKD(経験、勘、度胸)がいいとは言わない。けど、KKDが重要なときがある。時々、その「導き」に引かれて、理屈も根拠も、ただただ衝動的に、「これをやるんだ」「この道に進むんだ」って思えてしょうがないのなら、迷わず突き進むべし!
しかし、人間はどうにも臆病で、その大抵のときにおいて、躊躇してしまう。ためらって、思いとどまって、冒険せずに代替案を探したり、下手をすれば「取り下げて」しまうのだ。経験的に言うのだが、まったくもってもったいない。
時間はとても貴重だ。人生は一度きりだ。やらないで後悔するくらいならやって後悔した方がまだマシだ。
だから、自分の後悔を引き合いに、後進の人達には、ためらったり思いとどまろうとしていたら、必ず背中を押すようにしている。自分が「えっ、それは無茶だろう。いくらなんでもさぁ」と直感で思わない限り(爆)。
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