老いていく実感と恐怖
昨日、おそらく3年ぶりに或る(元)常連店に会食しに行った。
ちょっとびっくり。
女将がすっかり年取っていて、
大将もたぶん・・・
だから、
サービスもすごいスロー。
時々注文を忘れたり、
呼んだのになかなか来てくれなかったり。
常連にとって、お店のサービスレベルが落ちていく実感をしたときほどショックなことはない。
もう、たぶんあの店には行かないだろうなあ。
なんか、悲しい。
ふと、我にかえりました。帰宅してのち。
自分だって老いていくわけです。
自分では「まだまだ」と思っていても、自分だけが努力しているわけじゃない。
みんな頑張ってる。すっごい努力している。
だから、自分が負けないように走り続けないと、必ずいつか「抜かれる」わけです。
悔しい。だからまた頑張る。でも、「もう勝てない」かも知れない。それは怖い。
だからさらに頑張る。でもでも、「もう勝てない」かも知れない。
栄枯盛衰とはいいますが、どんなに絶好調な人でもピークがあるでしょう。調子悪いときだってありますよ。飲食店も、常連とはいっても、だんだんサービスレベルが低下することを肌で感じるときは、この例に限ったことではありません。実は結構あるんです。だから、贔屓は定期的に変わっていくのです。
これを淘汰というのです。そして、その波はいつか、当然、自分にも襲いかかってきます。それをショックと受け止めるかどうかはおいといて、かならず来ます。だから、それがきたら受け入れるしかありません。その前に命が絶えない限り・・・
まだまだ自分は若造で未熟だと本気で思っていますが、一方で、20年もこの業界で生きてきました。
だから、それなりに自分にも他者からみてプレゼンスはあります。僕より優秀な人、至るところにいます。いーっぱいいます。でも自分にもささやかなれどプライドもあるし、何か1つでいいから自分の土俵、自分の世界がほしい。そしていくらかそれを手に入れ、しばらくの間だけかも知れないが、その達成・確立に陶酔できることもある。
きっと自分のサービスレベル、ビジネスモデルも、次第に新鮮味や競争力が薄れ、そしてぱっと見がしなくなっていつか淘汰されるんだろうなあ。それまでなんとかなるかなあ。そのときは次は何を糧にしたらいいかなあ・・・なんて、今回の事象でとてもとても、真剣に考えさせられたのでした。