人とのコミュニケーションは、必ずしも「非がある・なし」では片付かない。
最近、人材ビジネスを始めたからか、とても対人コミュニケーションにSensitive(過敏)になりました。
「報(告」・連(絡)・相(談)」
そして、
「指示・依頼・指導」
いつも思うのですが、できるだけ「指示」はしたくない。
今の自分の立場だと、どうしても相手に「命令」と受け取られがち。ほんとに必要なら明言して命令もしますが、少ないにこしたことないですからね。
命令って、
「目をみて、みつめて」
「やさしい言葉遣いで」
「できるだけ感情的なトーンを抑えて」
「簡潔で、ゆっくりと」
話をする必要があると感じています。
他人とのコミュニケーションは、時として、どちらかに明確な非がない、もっと言えばどちらにもない時があるように思います。
要するに、お互いでうまく気遣いあって、依頼や相談をするときです。
いつも、難しいなあ、と思います。
自分自身、正直、本性が「過激」で「感情的」なものですから(反省)、いつも自分の言動を反芻して、どうにか自分に課せられた(なんだかとっても)高い職務・職責を果たしてくれ、という要求に、なんとか応えていこうとは思うのですが、これが・・・なかなか(苦笑)。
自分を棚上げして言ってはいけないのだろうけど、
でもでも、
最近、仕事上話をする必要がある一部の人が、自分中心に自他の責の所在をデジタルにはっきりさせた物言いをすることに遭遇します。なんか損していると思うなあ。
もうちょっと、工夫したらいいのに。
もうちょっとくらい相手を慮っても、いいことあってもつけこまれることもそんなにないと思うんだけどなあ。
例えば契約のようなリーガルな行為であればあるほど、ファジーな言動がまずいのはわかる一方で、だとしても文書はどうあれ対面やメールコミュニケーションについては、その言葉・作文について、相手目線でもセルフレビューしてみてほしいなあ・・・その方が、事は効率的に運ぶ気がするのですが。
ま、ひとのことばっか言っても始まらないや。自分自身ももっと磨かなきゃ、ですよね。
失礼しました<(_ _)>