「Up or Out」 ~責任のとりかた
先日、配下のコンサルタントと会食(まあ半分慰労会ですね)で話をしていて、前職で「責任のとりかた」の1つの考え方として、久しぶりにこの言葉を思い出しました。
「Up or Out」
・・・つまり、
結果を出せば「上がる」、出せなければ「去る」、という非常に厳しい原則論です。
ちなみに、上がるのは2つあります。「昇給」と「昇格」です。
『上がる「幅」が納得できるかは別として』、
不肖業界には約束した成果を出したものには相応に「上がる」ことが保証されます。
20年近く仕事してきた間に、成果主義のありかた、昇給・昇格の仕組み等、いろいろ業界にも変革が起きましたので、現在はここまで単純ではありませんが、従来から基本的な考え方としていまだ業界には浸透し、根付いているものと私は理解しています。
・・・成果が出せなければ「Out」です。
現在は「去る」とまで極端でもなく、
「減給」
「降格」
「離職」
選択肢が分かれます。
その人にも「矜持」があります。
不正行為でもすれば別ですが、基本的には「矜持にかけて」、自分を納得させられないから「離職」を選ぶ人が多数存在します。
以前、「ネガティブに転職しちゃダメですよ」といくつかのエントリやコメントで語ってきました。
残念ながら、これは正直「ネガティブな決断」です。
ですから、一人でもこの決断を少なくしたい。
そこで、「Perform & Stay」という概念が産まれました。
約束通りに成果は出したが、「昇給」「昇格」の基準を満たすほどではなかった(例えば最低ノルマはクリアしているがターゲットにはあと一歩届かなかった等)。
というわけで、「現在の同一条件で、来期も頑張ってください」という話です。
実際、ほんとに全く昇給がないかどうかは、会社によって異なりますので、少し表現は極端だと思います。
(そして最近、これはこれで単純だけれど、年功序列と比べて何が優位なのか、個人的にすごく悩んでもいます。)
むむーっ。
結果が出せなかったら「Out」。でも「減給」や「降格」は嫌。だから「辞める」。
?そんな単純でいいのでしょうか??
株主総会の真っ盛り、不祥事の嵐。
経営者をはじめ、たくさんの人が「責任を問われる」シーンが多々。
しかし、「辞めればそれで事は済む」のでしょうか??
確かに他人事でみればみるほど、約束を果たせなかったから「辞めることで責任を果たせ」という志向になることは非常にわかりやすく、理解できます。
ですが、辞めてしまって、本当に責任を全て果たせるのか?
子供の頃、地元デパートが火事になり大惨事となりました。
当時の社長と私の両親とはそこそこ親交がありました。
この社長は・・・「辞める」前に、全ての私財を投げうち、他社への事業売却等すべき施策の指揮にもできるだけ参加し、個人でできる償いの全てに取り組んでのち、「辞任」したと聞きます。
正真正銘の一文無しです。
一家4人は4畳一間の古アパートでその後ひっそり過ごしたと聞きます。
交流はここで絶えてしまったと聞きました。
最近、この人は或る意味とても立派だったんだなあと思います。
起きてしまったことへの責任を一人被り(注:少々主観は入っております)、社長としてできることは全てやった上で、以降の人生はつつましく、大企業の経営者としての責任を果たして、舞台から「退場」していかれました。
「私じゃないと経営が成り立たないから社長は続けます」とかいう最近の経営者が、このような事例に同じ手順を踏んで「責任を果たしているか」については、甚だ疑問です。
そして、
これは経営者じゃない全てのビジネスマン・ビジネスウーマンにいえることだなあと最近痛感しています。
いつも自分の責任を理解し、果たせないときにどんな言動でそれのリカバリに務める(つもりな)のか。
それを周囲に宣言しているか、あるいはする準備はいつでも整っているのか。
これができている人は、大抵は逆に失敗しないし、仮に本当に当人の与り知らぬところで起きた不祥事の責任を被ることになったとしても、リカバリがちゃんとできるような気がします。
辞めてたまるか。「成せば成る」だ。やることやってるゾ!
経営者に限らず、経営者や上司に任せず、みんなでお互いの責任をちゃんと果たすことをしっかり考えて欲しいと思います。
私もまだまだだと思ってます。だから私も頑張ります。そしても皆さんも是非・・・
(今日は感傷的ですが何卒ご容赦ください)