仕事で『遊んで』いますか
日本マクドナルドの店長の残業代支払いや、トヨタ自動車のQC(品質管理)サークル活動の全額残業支払いなど、なにがサービス残業なのか、どこまでが自発的活動なのか、という線引きの見直しが求められているように思われます。(参考記事) これは何を示しているのでしょうか。
私はトヨタ自動車に全く関係がない立場です。トヨタ自動車のQCサークルの存在は学生の頃に講義でききました。学科が経営工学科でしたので品質管理工学の単位があって、その中で日本の工業製品の高品質を支える活動として紹介されました。
その時、時間外に行われるグループ活動で、参加しないという選択肢が現実的にないQC活動が、どうして残業代の対象にならないのか不思議に思いました。時間給で働く学生アルバイトの感覚では、理解しがたいものがありました。
(注 正確には全く残業が付かなかったのではなく、月間2時間と定めた上限があった。今年6月から全額を支払うように変更した。)
先日読んだ<テレワーク 「未来型労働」の現実>では、ノートパソコンを家に持ち帰って、メールを読み書きしたり書類を作成したりすることで、外部から見えないサービス残業が増えることが危惧されています。
夜間や休日にメールをチェックしなければならないことで労働時間が増えてしまう件は、以前から米国で問題になっていました。以下も米国の事例です。
ABC Newsのライターが勤務時間外にBlackBerryをチェックすることに、時間外手当を支払うべきかという話です。この記事の最後に興味深いコメントがありました。
また同氏によると、多くのケースでは、問題は従業員が仕事に不満を感じている場合に生じているという。「皆が満足している限りは問題ない。何事にせよ、いったん不満を感じ出すと、何でも問題にしたくなるものだ」
私が勤めていた頃の株式会社アスキーは、平社員も含めて残業代が全く付かない固定給でした。勤務時間が不規則な出版事業から始まったためにこのような制度になっていたようです。タイムカードもありませんでした。だからと言って毎日定時で帰っていたわけではなく、私を含めほとんどの人が夜遅くまで働いていました。深夜になるとビルの前に客待ちのタクシーが停まっていたくらいです。
なぜ残業代が出ないのに毎日遅くまで働いていたのでしょうか。
それは働くことが楽しかったからです。ロバート・クリンジーが書いた「コンピュータ帝国の興亡」に当時の世界屈指のコンピュータ・ハードウェア・デザイナーであったケン・オーキンのコメントがあります。
「15年前、DECで働いていた頃のことをまだ憶えている」と、オーキンは言う。
「まだ学校を出たばかりだった。夜中の1時になっても、ぼくらはロジック・アナライザーだのオシロスコープだのを使ってハードウェアの検査をやったもんだ。根性があった。『おれたちは遊んでいるだけなのに、会社は給料を払ってくれるんだぜ、信じられるかよ』なんて言っていたっけ。」
ここに出てくる「遊び」はさぼることではありません。同様に、アスキーでは仕事そのものが自発的で楽しい「遊び」でした。
最近になって残業代の問題が表面化してきたのは、世の中や会社に余裕がなくなる中で、店長の仕事や改善提案活動が、「残業が付かなくても楽しい」遊びから、「せめて残業代ぐらい付かなければやっていられない」単なるノルマになってしまったからなのではないでしょうか。働くことと個人の分離、すなわち仕事からの孤立について考えています。
あなたは仕事が楽しいですか。