こんな本を読んだ!:『もし明日、親が倒れても仕事を辞めずにすむ方法』
周囲は、介護をしている人ばかりになってきた。
私のように大っぴらに「介護だ!介護だ!大変じゃ!」とアピールしている人はともかくとして、人知れず介護がスタートし、現在介護真っただ中という人もとても多いことに気づく。
子育てって隠す人はほぼいないのに、介護となるとなぜ隠すのだろう?というか、なぜ、人知れず粛々と進めるのだろう、そういえば。
子どもを育てているので、時短します、とか、子どもがいるので、出張は無理です、というのは、以前と比べてたらとても言いやすくなったと思うのだけれど(もちろん、会社によることは知っている)、介護ってあまり人に言わないみたい。
大人相手のことだからだろうか。
私が「介護だ!大変じゃ!」と言うと、同僚が、ぽろぽろっと「実はうちも親父が」とか「うちも母が」と言うようになる。
お客様に「介護があって」と話すと、実は「私も母の介護が」「父とホームに入れたばかりで」などと出てくる出てくる。
本当に介護は日常になっている。
周囲に今のところ、介護離職をした人は見かけていないのだけれど(それだって「人知れず退職していて、その理由が"介護"だと知らなかった」というパタンかもしれず)、離職はとてもリスクだから辞めた方がよいとずっと思ってきた。
悪いけど、親のために、自分のおまんまの食い上げになる事態に自ら突入することはできない。
自分が何かしなくては!なんとかしなくては!と思って追い詰められやすい介護だけれど、そのために、身体壊したり、職を失ったりすることは、親の望むことでもあるまい(と思いたい)。
いろいろ気になることはありつつも、心半分くらい介護中の親に持っていかれることはあっても、夜もそのことで眠れないことがあっても、親が死にそうな状況に陥って、自分もご飯が食べられなくなったとしても、それでも、私には私の生活がある。
だから、家族でやるには難しいことは、できる限り公的な支援を様々に得て、なんとか乗り越えていくことが必要である。
子育てには、楽しみがある。
できないことが、徐々にできるようになっていく。
介護に楽しみがないとは言わないが、切ないことが増えていく。
できたことが、徐々にできなくなっていく。
しかも、元気だった、カクシャクとしている本人を記憶しているものだから、その悲しさ切なさは計り知れない。(当人のほうがより一層哀しいであろうが)
とにかく、介護は長期戦になりやすい。終わりが見えない。終わったら終わったできっと悲しい。
終わった後にも自分の人生がある。ずっと続く(たぶん)。
だったら、介護のために離職してはいけない。
親のため、と思って離職しても、結局、親も巻き込んで貧困に陥っていくケースもあるという。
この本は、「介護離職はするな」「介護は、親を直接面倒見る(下の世話とか)ことだけじゃなくて、家族にしかできないこと(お話をするとか、孫の顔を見せるとか)をしたって立派な介護なんだよ」「公的支援がたくさんあるから、とにかく相談」「急場は、休暇取って対応」「周囲にも早めに話しておいたほうがいい」といったことが具体例と共に書いてある。
若い著者のようなので、ご自分の親御さんの介護にはまだ直面していなさそう。
けれど、介護職として活動してきて、様々な事例を見た中で感じることを1冊にまとめたのだろう。
決して絵空事ではなく、「本当にそうだ!」と膝を100回くらい叩きながら読んだ。
最後の方に「看取る」ことについても書いてあって、「延命措置」のあれこれについてもきちんと述べられている。
もうそろそろ旅立とうとしている高齢の親に心臓マッサージをすることは幸せか?といったことだ。
そうそう、自分の人生も後半戦に入り、自分はどういう終末期を迎えたいのかを考えるためのノートがあるよ、と友人であり、父の主治医であるY君に教えてもらった。
東京大学に死生学という学問を追究している方がいて、「心積もりノート」というのがDLできるよ、と教えてくれた。
延命措置はどの程度したいのか、みたいなことを書き込めるようになっている。へぇ、ほぉと思いながら読める。
コチラも併せて、どうぞ。
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最近、「介護」とか「老いる」とか「死」の本をたくさん読んでいる。
「死語の世界」については、未着手なので、まだ心は元気だと思う。