【父の介護日記⑤】怒涛の12月30日
ちょっと間が空いたが、怒涛の12月30日について記録しておきたいと思う。
ここまでの経緯は、以下の通り。
●2014年12月27日父が2Fに上がれなくなった (コレ)
●トイレ介助の様子 (コレ)
12月30日。
母は相変わらず体調不良で、横になっている。父は、一人で歩けない、不機嫌。トイレ介助必要。
朝9時半ごろだったか、「あれ、トイレの回数が多くないか?」と気づいた。
起きてからもう3回もトイレコール。前日まで明らかに頻度が高い。
30分に1回どころか、その内、20分に1回となった。
(夜中も2-3回起きて介助している)
そもそも、トイレには10分ちょいかかる。
20分に1回、トイレコールがあるということは、ほぼ10分起きにトイレ介助をしている状態になる。
もうおせち料理作りは諦めていたのだが、(第一それどころじゃない)
とはいえ、家族6人分の食事の支度、洗濯、掃除・・・もある。
洗濯だって半端な量ではない。
記録を取り始めた。祖母の介護をしていた時、大と小の記録を毎日取っていたのを思い出したからだ。
写真を見ていただければ分かる通り、こんな感じ。
4回目:9:52 (たぶん、この前に3回あったのでは、と思い4回目からカウント)
5回目:10:20
6回目:11:00
7回目:11:18
8回目:11:38
9回目:12:05
10回目:12:30
11回目:13:38
12回目:14:40
13回目:15:20
14回目:15:37
15回目:15:37
16回目:16:03
17回目:16:40
・・・・
もう11時台には、「明らかにオカシイ」と全員が思っていた。
父を車椅子に載せて、バリアアリーな家の中を移動し、トイレへ。
トイレ座らせると、焦点の定まらぬ目をして、目の前にあるウォシュレットのボタンを押しまくる。
せん妄? もしや、せん妄?・・・
様々なボタンをただ押しまくって、お尻も水浸しになって、何も出ていないのに、「もういい」と言うので立ちあがらせ、
私はお尻を拭いて、ズボン履かせ、また、車椅子に移乗。バリアアリーな家の中を再度移動し、
リビングのソファへまたさらに移乗。
10分もしない内に「トイレ―!」と怒鳴るように呼ばれる。
「お父さん、10分前に行ったばかりだし、さっきも出てなかったよ」
というが、表情の消えた父は、「いいから行かせろ!」と言うばかり。
トイレに座らせれば、すぐにウォシュレットのボタンを押しまくり、一向に「おしっこ」をする気配もない。
そして、すぐにソファへ戻せと、その繰り返し。
なんの嫌がらせだ、これは。
トイレ→ソファ→トイレ→ソファ。
シジフォスの神話を思い出した。きっとこれは罰ゲームだ。
神様に挑戦されているのか、私達は。
家事は何も進まない。
今後のことを考えたいと思ったが、考えることも家族で話し合うこともできない。
ひたすら、トイレ。トイレ。トイレ。
一方で食事。
口の中が痛いといい、固形物を一切摂らない。
プリンはどう?といってもダメ。
水もちょっと口に含んで、「もう要らない」。
これじゃあ脱水状態になるんではないか。
困った。
この時の父の状態は、
●20分毎のトイレ(実質10分間隔)
●食べない、飲まない
●常に怒っている(怒鳴られている私たちは疲弊)
●目の焦点が定まっていない
●両脚膝下が赤紫色に浮腫んでいる
●両脛の怪我は膿んで痛いと訴える
●全身で「ぜーぜー」言っている(喘鳴)
だった。
昼過ぎに、父の主治医でもある友人がメールしてきてくれた。
「淳子さん帰ってきているんなら、ご実家にちょっと立ち寄ろうかな」と。
すかさず、上記の状態を返信。
「わかった、お父さんの様子も診るね」と。
14時くらいだっただろうか。友人の医師が実家に来てくれた。
トイレ、脚の浮腫み、口の痛み・・・。ざっと状況を診て、以下のようなことを言われた。
●喘息が出ている、かな。ぜーぜーしているからね。
●トイレの回数が多いのに何も出ていないんでしょ? 前立腺肥大が起こっているかも。
→「えー、20年くらい前に前立腺肥大の手術したのに、なぜ?」「あれは、中をちょっと削るだけだから、また肥大するんだよ」
「えー、そーなのぉぉぉ!?」「前立腺肥大で、膀胱には尿が貯まっていてしたいけど、出ないんじゃないかな」
●口・・・は専門外だけど、歯科医の領域だなぁ。
→「そうか」「うーん、でも12/30でしょう。もう歯科医、全部しまっているからなぁー。年明け早々に歯科医に行くか、だけど」
●脚の浮腫みは、圧のある靴下はくといいかも。1/2には病院の売店が開くから買いに来て。
●せん妄・・・ちょっとあるかもね。でも、意識障害であって認知障害じゃないから。
●怪我・・・膿んでるから痛いんだろうな、かなり深い傷だしね。
・・・・「ちょっと病院に戻ってくるわ」。
うへ?我が家のために?
前立腺肥大か。圧の靴下かぁ・・・。12月30日。年明けじゃないとダメか、全部。1月2日まで乗り越えられるのか、この状況。
しかし、とにかく、友人は病院に引き返してくれた。
一方で、寝込んでいる母は、近所の友人KさんにTEL。
そのKさんの身内に歯科衛生士がいることを思い出し、年始にその衛生士さんがKさん宅に遊びに来ると聞いていたので、
「正月、可能だったら、うちにちょっと診に来てもらえないだろうか」と相談した。藁にもすがる思いで。
「うん、わかったわ。うちに来たら言ってみるね」との返事。よし、1/2日くらいに一度来ていただけるかも知れない。
だが、30分後、そのKさんからTELが。
「今、近所にいて、最後の訪問歯科が終わったところなので、田中さんちに行ってもいい?って〇〇ちゃんから連絡あったけど」
「え?今から?12/30のこの夕方の時間に?お願いしていいですか?」
「歯科衛生士さんが来てくれるって!」
・・・・
1時間もしない内に、その歯科衛生士さんが来訪してくださった。
歯科医を連れて。
びっくりした。
「年内最後の訪問歯科が終わって、病院に帰ろうかというところだったのでちょうど通り道でした」
ソファに座ったままで父の歯のレントゲンと撮ってくださり(家でレントゲンが撮れるのだ!)、診断。
奥歯が動揺しているので抜歯したほうがいいかな。あとは、歯周病ケアをするだけで少しましになるかも。
抜歯するとしても年明け。
とりあえず、歯周病ケアをすれば、ご飯食べられるかも。
痛み止めも飲んで。
年末は乗り越えられるよう、頑張ってみましょう。
・・・歯科医と歯科衛生士の二人で父を診て下さっている間に、主治医が今度は病院から戻ってきて、
彼は彼で、「歯科医と歯科衛生士がいる」ってことに非常に驚いていた。
主治医は前立腺肥大の薬と弾性包帯を用意してくれた。
16時ごろ、我が家には医師が3人いた。
歯科医、外科医(主治医)、そして父(一応内科医)。
父も会話はできるので、歯科医と外科医、外科医と父、など、医学用語でやり取りしていた・・。
内容はよく分からないのだが、年末年始を乗り越える算段は付いたようだ。
この時された処置、対応は、以下の通り。
●歯周病ケアと痛み止め
●脚の浮腫みに対して弾性包帯を巻く
●前立腺の薬飲んでみましょう、おしっこ出るようになるはず
・・・ってところ(細かくはもっとあるのだが、おおざっぱに言えば)。
歯科医・歯科衛生士チームに感謝を述べ、送り出し、
主治医(かつ私の友人)を引き留め、一緒に夕飯へ。
「水分摂らないとダメだねぇ。おしっこでなくて、何も食べなくて、まあ、食べないのはいいけど、水分は最低500、できれば700、可能なら1リットルくらい摂れるといいんだけど」
「出ない、飲めない、が続くとどうなるの?」
「腎不全起こす。そうなったらあっという間だ」
「あっという間か・・・」
この時初めて、私は、父が数日以内に死んでしまうという可能性を考えた。これまでの数日も「年内持つのか」「1月は持つのか」と思っていたけれど、「腎不全起こしたらあっという間」という言葉で、どーんと衝撃を受けた。
「もし数日で父が死んでしまうとしたら、それまでに何をすればいいのだ。いや、そういうことではないか。話しておくべきことはあったか。いや、意識もところどころ朦朧としているし。」
ぐるぐる考えていた。
父は、夕食の時間もほとんど何も口にしなかったが、水分だけはちょっと摂った。
この日がピークだった。
結局、数えていただけで、トイレは22回。(記録漏れもあるだろうから、実際にはもっとあったかも知れない。)
父の最悪な日。
家族も疲労困憊な日。
しかし、救世主のように医師が2人も来てくれて、奇跡の1日でもあった。
翌日の大みそか、父のトイレ頻度は、上記の写真の通り、少し減った。
私は、祖母の介護の時、ミキサーでご飯用意していたことを思い出し、
野菜のポタージュを作ってミキサーでがーっとつぶして、父に出してみた。
相変わらず、口の中の痛みはあったが、痛み止めで少しは物を入れられるようになったようで、
とろとろのミキサー食・スープをちょこちょこと飲めるようになった。
水分摂取の記録も並行して取っていたが、12/31はほぼ500㏄くらい。
1/1が700㏄くらいだったかと思う。
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もう1ヵ月半近く経過していて、記憶が不鮮明な部分もあるが、怒涛の12/30は、こうして過ぎていった。
父は現在、比較的元気にしている。せん妄状態もあの日だけで、頭しっかり。
歩けないのは変わらないが、普通食を摂れている。