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ソフトウェア製品開発現場の視点

リスクをゼロにするコスト

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社会の中でリスクに対する注目度が高くなってきたことで、リスクをゼロにしようとする動きが増えてきているように見える。しかし、不確実性が存在する社会や技術の中で、リスクゼロを目指すことは、コストが無限大にかかるということを許容しているのと等しい。「リスクを最低限にせよ」という指示と「リスクをゼロにせよ」という指示は非常に近いものに見えてしまうが、実際はこの2つの指示は根本的に違う指示であることを認識する必要がある。現実社会では「リスクをゼロにせよ」という指示は、精神論でしか意味を持たず、逆にリスクについてきちんと考えることを放棄させる。たとえば上司が部下に向かって「絶対大丈夫だな?」という質問に対して「はい」と答えるのは、精神論としての意味しか持たない。

一時期、どこかの生命保険会社のTVコマーシャルに、「外に出かけると、交通事故にあうかもしれないし、他の危険もたくさんあるので、外に出たくない。」と言っている主人公の家に UFO が落ちて怪我をするというような内容のものがあった。家にいるから絶対に安全と考えている人たちに、「どこでも危険はある(リスクをゼロにはできない)ので、生命保険に入りましょう。」というメッセージを伝えていて、リスクの本質をついていると思っていた。ただ、その生命保険会社が倒産するかもしれないというリスクまで含めて考えると、その保険会社の保険に入るのがリスク管理の方法として適切かどうかは、わからない。結局はリスク管理には一つの答えは存在せず、それぞれの人がリスクについて考え、最適なリスク回避手段を選ぶ必要がある。

官製不況といわれている、建築基準法、金融商品取引法、貸金業法の改正は、どれも消費者のリスクを下げることを目指していて、実施時点では大きな反対はなかったが、リスクを必要以上に下げようとした結果、不要なコスト増を引き起こしてしまった。官が介入すると、ほとんどの場合コストが増加して社会全体に経済的な悪影響を与える。その経済的損失を含めても実施しなければいけない法律の改正かどうかを、総合的に考えているように見えない。たとえば、金融商品取引法の改正で、金融機関から送付されてくる書類は、確実に以前の数倍の量になっている。そんな量の書類が、利用している金融機関の数だけ送られてきても、ほとんどの人は読まずにゴミ箱に投げ入れるだけであろう(私はそうしている)。もし、この施策の効果測定をすると効果が出ていないことが明確になるに違いない。そうすると次なる「消費者保護で消費者のリスクをゼロにするための施策」が行われ、そうこうしているうちに経済はがたがたになってしまうという恐れがある。

消費者保護のための施策をすべて「良いことだ」と無批判で支持するのではなく、施策によっては「それは過保護だ」とか、「その程度のリスクを避けるために払うコストとしては高すぎる」いうような意見が、もっと多く出てきても良いと思う。

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