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カウンセリングによくある誤解や質問、また、カウンセリングとはどういうものなのかなどについて執筆します。カウンセリングルームと契約したい、または相談室を作りたいと考えている、もしくは既に契約しているけど実はよく分かっていない企業の方だけでなく、一般の方にも幅広く見ていただけたら幸いです。

「何で私が言った言葉を、そのまま繰り返すの?」

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 カウンセリングを実際に受けたことがある人が持つ疑問のひとつです。

 カウンセリングでは主に、「傾聴」と呼ばれる聴く技術を使用します。
(※社会人基礎力の傾聴力とは、あまり関係ない気がします・・・たぶん)

 この傾聴と呼ばれる技術では、来談者の言葉を繰り返すタイミングが結構あります。

  • 簡単な受容として
  • 事柄への応答として
  • 感情への応答として
  • 意味への応答として
  • それまでの話の内容の要約として

 簡単な受容は、うなずき、相づちと同様に受け答えの一種です。 要約は、ある程度話が進んだときに、それまでの話を理解しやすくまとめるために行います・・・これも繰り返しと言えなくはないでしょう。
 残りの3つは文章中の重要部分を抜き出して、同じ言葉を(または、言い換えを行いながら)相手に伝え返すことです。

 このように来談者の言葉を繰り返すことは、傾聴では珍しくありません。

 しかし、表題の言葉「何で私が言った言葉を、そのまま繰り返すの?」を来談者から言われた場合は、問題があるでしょう(もしくは、直接伝えてはくれないかもしれませんが・・・)。
 来談者がこの疑問を持っているということは、話に集中できていないということに他なりません。

 この問題が起こるのには、いくつかの理由が考えられます。

■1つは、繰り返しの形骸化です。

 傾聴の言葉の繰り返しは、カウンセラーが話をより理解するためであり、その姿から来談者に「理解してもらえている」と感じてもらい信頼関係を築くためであり、また、来談者が自分の言葉に気付いて、注意を払い、より自分に即した表現を行い、より自分の言葉を受け入れて洞察を深めてもらうためのものであることは、前3回の記事で綴った通りです。

 逆にそこから、本来の傾聴の姿というものも見えてくると思うのですが、こういう技術を学ぶときには多くの場合、形骸化が発生します。
 今回の場合では、来談者の言葉を繰り返すということが形骸化され、本来の意味を伴わずに行なわれているわけです。

 これでは、最後の数語の繰り返ししか出来なくなってしまったエコー(ギリシャ神話)と変わりません。
 機械的に言葉を繰り返すカウンセラーを見た来談者は、はたしてどう感じるでしょう?

 

■次に傾聴の訓練ルールの適用が考えられます。

 傾聴訓練では最初の頃、この繰り返しの技術を身につけるために、いくつかのルールを設けることがあります。

  • 相手の言葉をよく聞いて、そのまま繰り返す
  • 質問はしない(思わず質問してしまうと、繰り返しの訓練にならない)
  • 笑わないで真面目にやる

 ・・・などです。
 その後、傾聴の意味を学びつつ訓練を繰り返していくことで、傾聴はカウンセラーのスキルの一部となっていきます。

 が、上述したような初期の訓練内ルールが、傾聴のルールとして記憶されていたらどうでしょう?

 来談者中心療法の創始者であるカール・ロジャーズ(Carl R. Rogers, 1902-1987)は、傾聴に上記のようなルールは組み込んでいません。 むしろ、なぜか歪曲して解釈されてしまった傾聴や、それを用いた来談者中心療法を問題視していたようです。

 繰り返しは、多すぎるとカウンセラーの気を削ぎ、来談者の感情を惑乱させ、少なすぎても、機械的に行ってもその意味を成しません。
 まずは傾聴の、その意味をしっかりと理解し、そこからどうすれば良いかを考えて、(カウンセラー、来談者の個人差も考えられるので)カウンセリングセッション内での良き所というのを探していく必要性があるのではないでしょうか。

 

■他に、セッション内で場面構成を行なっていないということも理由として考えられます。
(※場面構成というのはカウンセリングの基本条件や実施要綱についての同意をする話し合いを行なうこと)

 カウンセリングの勉強は主に、同じレベルのカウンセリング知識を持った人たちの集まりで行ないます。 すると皆、横並びでカウンセリングの知識を身に付けていくので、カウンセリングに対する知識の差が生まれません。

 そんなメンバーの中で行なわれる傾聴訓練では、場面構成というものは省略されることがほとんどでしょう。 メンバー全員、カウンセリングに対する知識を持っており、かつ、より重要な部分をスキルとして身につけるために授業の効率化を考えると自然とそうなるのです。
 当然、傾聴という特殊なスキルを用いたコミュニケーションにも、なんら違和感を持ちません。

 しかし、その練習に慣れてしまい、実際の臨床の場でも場面構成を省略してしまうと、どうでしょう?

 今度は(今までにも、このブログで書いてきたように)誤った先入観や誤解を持っている可能性の高い一般の方々が来談者なので、傾聴に違和感を訴えても別段おかしくはないのです。
 事前にカウンセリングについて説明して十分に納得してもらっていたなら、来談者もそれほどおかしいとは感じないでしょう。

 場面構成をしなくても、カウンセリングが上手くいく場合もあります。
 が、もし違和感を感じたなら、どんな場面でも立ち返って場面構成する方が良いと言えるでしょう。

(※誤解を持っているのが悪いのではないのです。 今までが啓蒙努力不足だったのです・・・このブログを見て、少しずつでもカウンセリングに対する誤解を埋めていただけると嬉しいです)

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