年収1000万円以上は「睡眠を経営する」----高年収層の行動パターンから見える、日本企業の見過ごされた人的資本
「高年収層ほど、働く場所を自分で選べる」。以前、テレワークの定着率に関するデータをもとにそう書いた。今回取り上げるのは、その仮説をさらに裏づける、もう一つのデータだ。今度のテーマは「睡眠」である。
日経ウーマンが紹介したマイナビ転職「睡眠と仕事に関する実態調査」(正社員600名対象)の年収別クロス集計を見て、私は率直に唸った。ここには、高年収層に共通する行動パターンと、日本企業が見過ごしている人的資本の基盤が、はっきりと現れている。
▼ 元記事
約4人に1人が睡眠6時間未満 年収が高いほど仕事と睡眠の関係を重視(日経ウーマン)
■ まず、日本全体の睡眠の現状を押さえる
年収別の話に入る前に、日本の睡眠事情を大づかみにしておきたい。
今回の調査によれば、正社員の平均睡眠時間は6時間14分。厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」が推奨する6時間以上には、辛うじて届いている数字に見える。しかし理想の睡眠時間を尋ねると、平均は7時間13分。理想と現実の間には、約1時間のギャップがある。睡眠時間が6時間未満と回答した人は26.9%、実に4人に1人が推奨水準にすら届いていない。
そして寝不足の頻度を見ると、「週2〜4日」が38.8%、「週5〜7日」も31.7%。日本の正社員の実に7割が、週に2日以上は寝不足の状態で出社しているという計算になる。
この「日本人は眠れていない」という傾向は、国際比較でも際立っている。OECDの調査では、加盟33カ国中、日本の平均睡眠時間は最短の7時間22分(今回の調査対象である「正社員」よりは長いが、これは無業者や高齢者も含む全体平均のため)。最長の米国(8時間51分)とは1時間半近い差がある。日本は、先進国の中でも際立って眠らない国なのだ。
■ 年収別に見ると、くっきり分かれる「睡眠観」
ここからが本題である。調査では、睡眠が仕事に与える影響について、年収別のクロス集計が示されている。
「睡眠は仕事のミスなどで周りに迷惑をかけないために大事」という項目では、全体62.5%に対し、年収1000万円以上の層は69.2%。「睡眠は仕事で成果を出すために大事」は全体61.0%に対し1000万円以上は66.2%。「寝不足の人が多い職場は、職場の雰囲気に悪影響がある」も全体59.2%に対し1000万円以上は69.2%と、10ポイント近い差がついている。
グラフに現れた6つの項目すべてで、年収1000万円以上の層が最高スコアを記録している。逆に年収300万円未満の層は、ほぼすべての項目で最低スコアだ。「睡眠は仕事のミス防止に大事」という最も基本的な項目でさえ、300万円未満は53.6%と、全体平均を10ポイント近く下回る。
つまりこういうことだ。年収が上がるほど、睡眠を「仕事のパフォーマンスの一部」として明確に位置づける傾向が強まる。逆に年収が低いほど、その結びつきへの意識自体が薄れていく。
■ なぜ、こんなにきれいに差がつくのか
この差を、私は「意識の差」だけで説明するのは不十分だと考えている。ここには、少なくとも三つの構造的な要因が絡んでいるはずだ。
第一に、仕事の裁量の差。高年収のポジションほど、いつ・どこで・どう働くかの裁量が本人にある。だから睡眠時間も、パフォーマンスを最大化するための「経営資源」として、意図的に配分できる。以前書いたテレワークのデータと、まったく同じ構造だ。
第二に、寝不足の原因そのものの構造。今回の調査で、寝不足の最大の原因は「仕事時間の長さ・残業・通勤時間の負担」と「仕事上のトラブル・プレッシャー・人間関係のストレス」(ともに38.1%)だった。長時間労働と通勤負担は、裁量の少ない職務ほど重くのしかかる。低年収層が睡眠を「大事にできない」のは、意識の問題である以前に、削らざるを得ない構造に置かれている可能性が高い。
第三に、健康リテラシーへの投資機会の差。高年収層は、睡眠が生産性や意思決定の質に直結するという知識・情報に触れる機会も相対的に多い。書籍、専門家によるコーチング、企業の福利厚生としての健康支援----こうしたアクセスの差も、意識の差として現れているのだろう。
実は、この所得と睡眠の関係は、今回の調査に限った話ではない。総務省の国民生活基礎調査には、世帯人員1人当たり所得金額階級別に睡眠時間を集計した統計項目が存在する。所得と睡眠の関係は、公的統計でも継続的に観察されているテーマなのである。
▼ 参考:政府統計の総合窓口(e-Stat)「世帯人員数、平均睡眠時間・世帯人員1人当たり所得金額階級別」
国民生活基礎調査 健康の状況(第83表〜第90表)
■ 睡眠は、本当に「意識の問題」で片づけてよいのか
ここで立ち止まりたい。高年収層が「睡眠を経営している」のだとして、それは称賛すべき自己管理能力の物語として消費してよいものだろうか。私はそうは思わない。
睡眠不足は、単なる体調の話ではない。仙台市の高齢者を対象とした大崎コホート2006研究では、睡眠時間が7時間の人の健康寿命が最も長く、短すぎても長すぎても複数の疾患リスクが増加することが示されている。企業の健康経営支援に携わる専門家も、睡眠時間が短くなるほど、身体疾患やメンタルヘルス不調に加え、生産性低下や労災事故という「社会的な健康リスク」が増大すると指摘する。逆に言えば、睡眠時間を確保することは、個人の生産性向上における「最善の策」だという。
睡眠時間と健康寿命との関連:大崎コホート2006研究
日本人がもっと眠れば、国力が伸びる!? 睡眠とGDPの浅からぬ関係(ダイヤモンド・オンライン)
もし低年収層ほど睡眠を確保する裁量がなく、それが労働時間・通勤負担という構造に起因しているのだとすれば、これは単なる個人差ではなく、企業が設計した働き方が生んだ「睡眠格差」だと捉えるべきだ。そしてその格差は、生産性の格差として、巡り巡って企業自身に跳ね返ってくる。
■ 人事が見落としている、人的資本の基盤
人的資本経営の議論は、スキル開発、エンゲージメント、リーダーシップパイプラインといったテーマに集中しがちだ。しかし、今回のデータが突きつけるのは、それらすべての「土台」の話である。
どれだけスキルを磨いても、どれだけエンゲージメントを高めても、睡眠不足の状態では判断力も創造性も発揮できない。パフォーマンスマネジメントの議論をする前に、そもそも社員が眠れているかどうかを問うべきではないか。
高年収層が睡眠を重視できているのは、称賛されるべき個人の心がけである以前に、裁量のある職務設計・働き方の柔軟性・健康への投資機会という、環境要因の産物である可能性が高い。だとすれば、人事がなすべきは「もっと寝ましょう」という啓発ではなく、あらゆる等級・職種の社員が、睡眠という基盤を確保できる働き方の設計そのものを見直すことだ。
長時間労働の是正、通勤負担の軽減(リモートワークやフレックスの実質的な拡大)、そして睡眠を含めた健康行動を評価やマネジメントの会話に組み込むこと。これらは、福利厚生の枝葉の話ではなく、人的資本の根幹に関わる経営課題である。
■ おわりに
「高年収ほどテレワークが定着している」というデータを取り上げたとき、私は「柔軟性は成果マネジメントの成熟度の関数だ」と書いた。今回の睡眠データは、その関数にもう一つの変数を加える。柔軟性も、睡眠も、結局は同じ根から生えている。「自分の働き方を、自分でマネジメントできる裁量」があるかどうかだ。
その裁量を、一部の高年収層だけのものにしておくのか。それとも、組織設計によってすべての社員に広げていくのか。人的資本経営の真価は、開示される指標の華やかさではなく、こうした地味で構造的な問いにどう向き合うかで決まるのだと思う。
▼ 参考文献・リンク
・約4人に1人が睡眠6時間未満 年収が高いほど仕事と睡眠の関係を重視(日経ウーマン)
・国民生活基礎調査 健康の状況(政府統計の総合窓口)
・睡眠時間と健康寿命との関連:大崎コホート2006研究
・日本人がもっと眠れば、国力が伸びる!? 睡眠とGDPの浅からぬ関係(ダイヤモンド・オンライン)