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スクランブル交差点の渡り方

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梅雨が明けていきなり死ぬほど暑いですがみなさん御機嫌如何? わたしは相変わらずです。

突然ですが、問題です。骨・お猪口・ジャンプ。これは一体なんでしょう?(うむ、簡単すぎますね)

さて、中島みゆきの最近のアルバムに「スクランブル交差点の渡り方」という楽曲があります。かなり「遊び」のある曲で、内容は、「スクランブル交差点の競い合うような状態に疲弊していて、あるときコツがあることにきがついた」というもの。ここで彼女が言っていることはおそらく「スクランブル交差点の渡り方」という具体的な方法そのものではなく、「みんながやすやすと出来ていることが、できない人がいるんです」ということでしょう。最後、諦めともつかぬ「ため息」で終わる、まるでエッセイのような軽い内容の曲です。まあ、ぼくみたいなファン以外はとりたてて聞いて感銘を受けるような曲ではないと思います。

最近、外を歩いていてふとこの曲を思い出すような事実に気がついてしまいました。

梅雨のさなかです。ぼくの家の近くには川があって、家に帰るためには橋を渡る必要があります。川のまわりは川風が吹いていて、それまでの道のりではさほど強い風でないときでも、けっこうな強さで風が吹き付けてくる場所です。この場所にさしかかる手前あたりから、ぼくはいつも傘を畳んでしまいます。そのまま差しているとたいてい傘がおちょこになってしまい、ひどいときは骨ごと破壊されるからです。以前すんでいた家の近くでもマンションが並んでいる場所があって、ビル風が強く、同じようなことを習慣にしていたのを記憶しています。どちらも川風やビル風のような、強風が吹く原因があってのことなので、濡れるのは嫌だけどしかたないなーと思って、毎回そこそこ濡れながら帰ってきていました。

でも、先日、同じように傘を閉じてあたりを見ていて、急に気がついたんですよね。そこを通る人の誰もそんなことになってないんですよ。ビニール傘、折りたたみ傘、ジャンプ傘、いろんな傘があって、年齢層もバラバラの人が通り過ぎていくんですが、ぼくみたいに、傘がお猪口になりそうになって閉じてしまう人なんかひとりも居ません。みなさん平然と歩いて行きます。それで気がつきました。どうもぼくは傘を差すのがものすごく下手なようなのです。そこが他の場所より多少強く風が吹いているのは事実なのです。でも、それは人に傘を閉じさせるほどではない、ということなのでした。これはなかなかに衝撃的な事実でした。いままで同じようなことがぼくの身に何回も起きていたのは、風だけのせいではなかったんですよ。風を逃すような角度に傘を差し掛け続けること、という行動がどうもぼくには上手に出来ないだけだったんです。いやー、完全に風のせいだと思っていました。ごめんなさい、風。あなたはたいしたことをしてなかったのに。

それにしても「○○が下手」というジャンルにそんなエントリーがあるなんてはじめて知りましたね。そうなんですよ。「みんながやすやすと出来ていることが、できない人がいるんです」。考えてみると、きっとぼくが何の気なしに出来ているいろんなことが、なぜか出来ないでいる人が居るはずです。それでも出来ないことや下手なことを自分で知っているであればまだ対策もとれるでしょう。ぼくの傘のように下手なこと自体に本人が気がついていないことがもしかしたらあるかもしれません。なんだか毎回不快な思いをするなー、とか何か自分は出来ないなーとかいうこと、ありませんか? 改めてそれを点検してみるのも良いかもしれません。

ちなみに、傘についてはやり方が分からないので、特に回避はできておりません(丈夫な傘を持てば良いのでは、いえ。だめです。丈夫な傘はちゃんとした傘ですね。100%電車の中に置き去りです。どうしようもありません)残念ですが、これからも濡れて帰ることになりそうです。

スクランブル交差点では  渡り方にコツが要る
スクランブル交差点では  渡り方に はぁ……(ため息)

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