アドバイスから遠く離れて
ブログがまたひさしぶりになってしまいました。家族の具合が悪くなったり、自分の体調が悪くなったりで、どうも忙しいことになれていないというか、慣れていないので忙しくなっているのかもしれませんが、色々余裕がなくなっておりました。
さて、唐突ですが、アドバイスを求められることってありますよね。ぼくなんかでも社会経験が増えてきた(実際は増えてなんか居ないわけですが、数値上は増えているようなので仕方ない)いま、どうしてもアドバイスを求められる機会から逃げられないことがあります。しかし、どうにもアドバイスというもの苦手です。みなさんはどうですか? 気になりませんか? まあ、アドバイスの内容はいろいろあって、何を食べるかとかどれを買うべきか、そんなのはさすがに大丈夫ですが、仕事の進め方とか(といっても本当にささいなことなんですけど)だとけっこう困ってしまいます。
そもそもぼくは経験というものをあまり信用していません。たとえば、薬とかだと統計的処理によって「効果がある」かどうかを観るのに疫学という極めて強力な学問があって、何かの効果を観るにはやはり集団を対象としないとだめなんじゃないかという想いがあるんですよね。人生は一回しかないので、ある人がある時期に体験できることは一つです。サンプルサイズは1。他の人が同じような条件で同じような経験をしているかもしれませんが、条件を明示できない以上、その経験が適用できるように思えないんですよね。アドバイス程度のことにそんなこと言うなよ、とも思うのですが、どうしてもそういう気持ちがどこかにあって、話ながらどんどん自信がなくなってきますね。
とはいえ、分かってはいるんですよね。アドバイスっていうのはやり方を教えることだけが大事なのではなく、「アドバイスをして参考になり、自分の抱えている問題を解決できそうな気持ちになる」という安心感を与えることで、その問題に向き合う気分になる、というところがポイントなんでしょう。でもね、そう割り切ってみても「本当に問題に向かい合った方が良いのか、逃げた方が良いんじゃないのか」とか、「アドバイスをしない状態のほうがむしろ変な色がなく問題に立ち向かえるのではないか」とか、これまた検証しようのないことを色々考えてしまって、いけません。これにしてみてもどちらがより確からしいか、という観点で見るしかないわけですが、その確からしさを保証するものがまた経験でしかないわけで、経験の信頼が低いぼくにとっては堂々めぐり。固まるしかないのです。
そんなわけで、結局、アドバイスをすること自体向いていないと思いつつ、そういう機会があるときは主観よりも情報を中心に述べることでなるべく経験を切り離そうと思うことにしています(まあ、厳密に言えばぼくが本当に向いていないかどうかも未検証なわけですけど、検証しようもないし。。。めんどくさい性格だなあ)ただ、この、経験に対する信頼というのはいろいろ自分の行動を制限しているなあ、と思うことがあるので、また別の機会に、そのもやもやを紹介したいと思います(誰が得するのかわかりませんが)。