逃亡生活35周年記念
おめでとうございます。
ちょうど本日35歳になりました。使い物になる期間全体としてはだいたい半分くらい消化したかな、という感じです。大人になってから、家族くらいしか誕生日のことを意識しなくなったと思うのですが、最近SNSたちが勝手に誕生日情報をみなさんに通知してくれるようになりました。そうなると、普段意識しなかった知人たちの誕生日に気軽にお祝いの言葉を送るようになります。ライトウェイトな祝言が行き交うようになってくると、こっちもそれなりに嬉しいもので、誕生日を以前より意味のある通過点だと思えるようになってきました。これはSNSがあったからこその面白い現象だなと思いました。
年始の豊富もないのに、35歳の抱負があるわけもありません。たぶんこれまでのようにゆっくりと進んでいくんだと思います。ん、いや、進んでるのか? 本当に進んで良いのか? ぼくは、手より先に考えて固まるタイプなので、なにかイノベーション的なものを起こすことはまずないでしょう。考えてるうちに同じようなことを見切り発車した人たちがどんどん走っていくのだと思います。別にそれでいいのです。歩いているからこそ見える景色もあって、たまには寝転がって、いや、後ろ向きに走り出したりして、誰かの落としものをひろったり、誰かがほって忘れていた落とし穴に今更はまったりして、まあ、そんなことをしていて、逃げ続けてここまで来たので、それでいいかと思うのです。まだ逃げよう。
で、逃げることについて、35ともなると自分を飼い慣らす、というか自分を低エネルギーで働かせる方法もなんとなくわかってきますね。そうなると、いざというときに速度を上げて逃げるためには、ゆっくり逃げられている今のうちに準備としていろんな人に会っておいたほうがいいんじゃないか、というのが最近の実感としてあるんです(人脈がいちばんだとかいう言い回しは全く好みではないのでたいへん苦々しい感情もありつつ)。ただ、そこで立ちはだかるのが社交という大変苦手な行為です。知らない人は怖いに決まっています。
これには自分の中で答えが出つつあります。似たような人が他にも居るかもしれないので書いておきましょう。人見知りの人間である僕はやはり会話が苦手ですが、自分なりにストレスが少ないところからの切り口がだいぶ分かってきました。まず、とりあえず会社で扱っている商材関連とか、話題を携えていけるようなところを探すことにしました。会社の延長できましたよというエクスキューズが先にあれば、わずかではあるが会話が可能だと気づいたのです。そこをきっかけにしてあとは回数を重ねるという方法でしのぐことにしました。回数が重なると、積み重ねた回数で、共有された体験自体が話題になるという単純な話に気がついたからです。マッチポンプ的ですが、実際世の中の会話なんてそんなものですよね(35にもなって何を言っているのだろう)
そのうえで、最初に書いたSNS的なツールが人見知りにとってかなり助かるということのがわかりました。僕はSNSでひとのところにそんなに書き込みはしませんし、Likeみたいなものもそんなに押しません。一方的に自分のことを書き込むのが中心です。でも、そうやって書いておくと、後で人にそこに書いたことでの話題が生まれやすいのですね。わざわざ人に聞いてもらおうと思って他人に言葉をぶつけるほどではない話題でも、文章で「読みたい人だけ読んでいただければ」的においておくことには抵抗はなく、以外とそういう話も読んでもらえていたりするのです。自意識を希釈する文章をWebに放流しておく、これは人見知りにはかなり使えると言うことが分かってきました。もともとWebにどうでもいいことを、誰に言うわけでもなく書くのは得意なのです。
ということで、抱負はないと言いましたが、ちょっとだけ見知らぬ人と会う回数を増やして、SNSに普段通りに言葉を流すことで人とのつながりを多少なりとも強化できれば良いか、という心構えだけはすることにしました。すでに僕のことを知人として認識していただいている皆様におかれましては、生ぬるく見守っていただければ幸いです。