物語の誘惑に抗うために
今日も文章が長い割には、たいしてたことは書いておりません。すみません。
今週もぼくがわりと気にしている分野でいろんなもめ事があって、考えることが多い一週間でした。そんなもの見なきゃ良いのに、とよくいわれます、もっともなのですが、他人事ではないと思ってしまいつい読んでしまいます。その上でいろいろ考えてはみるものの、どうもぼくのレベルではなかなか自分の中でこれならいいか、という結論を出せないまま、気づけばまた別の、少し違った問題が起き、そちらを考え、またまた別の問題が、などとおたおたしているうちにどんどん時間が過ぎていくのでした。どうも震災以後、こういった小さな問題意識みたいなものが、頭の中にたくさんばらまかれてしまったような気がしてなりません。
まあ、個々の問題をここに書いてもとっちらかってしまうばかりなので、それは止めておき、もっと抽象的なレベルの話を書きます。このところ、いろんな物事を判断する上で、物語のようなものに流れてしまうことをいかに冷静に見られるか、ってのがやっぱり大事なのかなあ、ということです。
昔からよく見るのは「天動説を批判したガリレオ」の物語です。既存の学説と相反する説を打ち立てたものの、本当に間違っていて消えていった無数の学者の墓標だって本来は物語の筈なのですが、それは見えておらず、ただ、ガリレオの物語の構成要素との一致を持って、自身の置かれた状況を肯定する構図です。カルト化した宗教など、社会問題になるケースも多いように感じます。
最近よく見るのはそのバリエーションとも言えるでしょう。「チャレンジャーを、既得権益層がつぶそうとしている」という物語です。なにか新しいことをやろうとする人が居て、ただ、その新しいことがモラル的に問題があった場合、それを批判されるのは当然なわけですが、これをさきのほどの物語にひきつけて見てしまうこともできてしまいます。やっかいなのは、要素だけ見れば確かに文字上はおかしくないところです。問題なのは「批判の内容が妥当か」なのだって、批判者の属性が既得権益を持っているかどうかではないのですが、往々にしてそうは判断されません。魅力的の物語がいくら援用できるからと言って、それは構造を肯定しないはずです。陰謀論の多くも同じかと思います。
震災以後で言うと、「どんな難しい概念だって、小学生に分かるようにやさしく説明できる」なんて物語もありました。何らかの専門家の発言を批判するときに使われたりしてる気がします。実際、あらゆるものがかみ砕けるのかどうかなんて確かめようがありません。実際に、わざと難しく言ってるのか、とという発言が別の専門家によって極めて平易に語られるというケースも確かにあるわけで、構造としては適用できてしまうわけですね。
こうした物語が怖いなあと思うのは自分もそういう誘惑に抗い切れてないんじゃないかと思うからです。
よく、マスコミが「発言を切り取った」といわれることがあります。文脈から切り離されて批判を浴びてしまい、切り離されたほうの文章の持つ物語性の存在感が強くなりすぎてしまうこともよくあります(最近だと「二番じゃダメなんですか」なんてのが典型的のように感じます)。よくあるからといってそれが良いとは思えないわけですが、ここにも物語としての誘惑があるわけですね。
もっとも、報道なんて大きな話をするつもりはありません。最初に書いたようなぼくがこのところ目にしているもめ事はほとんどがTwitter発のもので、そのことをなんとなく考えています。この「あらかじめ断片化されたメディア」というのはどうも物語を要求しやすいな、と思っています。そして、そのぶん「誰が言ったか」ということが重要な文脈にならざるを得なくなっているのではないかとも感じています。
さっき例に挙げた既得権益のケースで「批判者の属性」は、などと書きました。原理的にはそのはずだとは思うのです。ただ、Twitterのように短文になればなるほど「批判の内容」の記述を解釈する上でどうしてもその人の属性やこれまでの発言に頼らざるを得ないのではないかとも思っています。ある言葉を無造作に投げたとき、それをどういった意図で使っているかなど短文だけみても短すぎる故に過ぎてくみ取れず、無理にくみ取ろうとすると、別の物語が必要になる。こうやって比較的耳障りは良いものの、少しずれた物語が定着してしまうことがある。
これまた恐ろしいなあ、と思うわけです(これは発言する側としても怖いですし、受け取る側の誘惑としても怖いです)でどうすればいいのか、ってことになると「一切発言しない」とか、「ときどき恐ろしさを思い出しながらがんばる」とか、なんだかなあということしか思いつかず、まったくすっきりしないわけでした。昔からもちろんこんな話はよくあることだったとは思いますが、このところとくに強く感じていたので、気持ちのメモとして書き留めておきます(なんか当初書こうと思っていたことはぜんぜん書けてないのですが)