「見ている」「見られている」から生まれる平和
おはようございます。
今朝はだいぶ花粉が飛んでいる模様。マスクをしてみました。
===ほぼ毎朝エッセー===
「誰かが見てくれている」
人にとってとても大切な感覚です。
一神教の大きな要素に「神が見ている」という概念が強く謳われているのもそのためです。あるいは、誰も見てくれていないという感覚になると自暴自棄にすらなる。
SNSが流行るのも「誰かが見てくれている」という感覚を満たすためであると言えるでしょう。「いいね!」や、コメントをもらうと、「あ、見てくれているんだ」という安堵感にも似たようなものが発生しますね。
だから職場においても「必ず見ているよ」というメッセージが、実はとても大切なのですね。人なので好き嫌いがあったり、苦手な感覚があったりします。それでも分け隔てなく、「見ているよ」というメッセージを発信することです。
Kさんの日報にあったような、他の人のコメントを元に実際に動いてみるということはとてもいいことですね。
以下引用==>
[Good News/Appreciation Message]
* Sさんの日報を受けて、Aさんにスナックコーナーで会ったら日本語を
ちょっとずつ教えるようにしています。今日は「豆子郎」のしおりの
内容を簡単な日本語にして伝えました。豆子郎のしおり、皆様もぜひ
ご覧ください。
<==以上引用終わり
これは、一昨日のSさんのこのメッセージに基づいています。
ちなみにAさんは中国人の営業担当です。
ちなみに「豆子郎」とは美味しいういろうのようなお菓子です。
以下引用==>
[Good News/Special Thanks To]
東京Eさんの新規案件をAさん担当にしました。
今後トライアルに向けてお客様とメールのやりとりも開始します。
勉強を兼ねて、Aさんとはなるべく日本語で会話するように
皆様もご協力のほどよろしくお願いしますm(_ _)m
<==以上引用終わり
「見ている」「見られている」から生まれる平和。これ絶対アリです!