「憎まれっ子」選手権に巻き込まれない
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おはようございます。
寒さが一段落したのか冷え込みが少ないです。
ドライブ大好き(って、珍しい猫だと思います)
===ほぼ毎朝エッセー===
「憎まれっ子世にはばかる」
はみ出し者で反骨精神を持っているくらいの人がいい仕事をする。世に出てくるような人はたいてい癖が強くてともすれば嫌われ者。
これって事実だと思います。
強い思いを持ちながら、それを何とか実現しようとする。一途に取り組み周りにとっていい人であるかどうかは関係ない。それくらいの精神状態になっている。
いい人であろうとすると、周りの目に思いが削り取られます。思いが弱くなると物事を成し遂げられません。ドロドロとした欲望に近いものに突き動かされる必要があります。
ところが、その限界もあると最近思っています。
憎まれっ子のままでは権威主義へと走り、さらなる憎まれっ子との戦いへと発展する。憎まれっ子選手権へと巻き込まれていく。「憎まれっ子」のままではどこかで足を引っ張られてしまう。
ガラスの天井とでもいうのでしょうか。
最近病院に行くことが多く、人が如何に他人に助らえているかを痛感しています。憎まれっ子選手権では世の中が成り立ちません。弱いところは人に助けてもらう必要がある。
組織も同じでしょう。
憎まれっ子である必要がない組織、自然体でいながら認め合える組織。弱いところは補完し合えそれぞれの強みが活かせる組織。
それが理想組織の一つのレシピなのではないかと思っています。
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