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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

花の、時の、たしかさ。

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花見気分ではなくとも、桜を愛でよう。
悲しみを湛えても、賑やかな満開の木の下に立とう。
亡くなられた方々が、見たかったであろう光景を、こころ溢れても感じ取ろう。
一生に100回も見られぬのである。
同じ桜は二度とない。

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3月11日朝に公開したブログに載せなかったこと。
公開前に悩み、下書きから削除した、2行。

~略~
そうして3年後、草花が、戻ってきた。
小鳥も蜂も蝶も、戻ってきた。
翌年、つくしが、生え始めた。

世界とは、本来、こうなのだ。

偏屈なのかもしれないが、「なのかもしれない」ではなく 偏屈に違いないが、
私には、林立するビルの夜景よりも、
星を撒き散らしたような胡瓜草の花の方が、美しく清々しい。

それで集客しなければ糧を得られないという理由以外で、
ライトアップされた木々を見ると、
彼らは、夜には、眠りたいだろうにと、不憫になる。

ITの仕事をしている。
自分だけの都合で、工業製品を使い、電気を使っている。
私は、木や花や鳥に「邪魔なやつ」と思われつつ、
手を合わせ、頭を下げながら、
自然の片隅に、居候させてもらっている生命にすぎないのである。

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節電の花見こそ、日本の花見である。
花見にせよ、月見にせよ、芋炊き会にせよ、いつからだろう、変わり始めたのは。
日本情緒よ、いずこ。

カラオケの音で、花びらの舞う音をかき消して、何が花見ぞ。
バーベQの臭いで、かすかな花の香りを覆い隠して、何が花見ぞ。

葉ずれの、音。記憶の底。
花びらの間。柔らかに、揺れる、光り。
遠く、触れられぬ空。夢幻のなかの、今。
かすかに、ひそかに、伝えられる、生命の瞬き。

花見とは、過ぎてゆく、時間の、手触りを、たしかめることではなかったか。

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