過剰サービス
今週初めの日経新聞だったと思いますが、こういうタイトルの記事がありました。
たとえば、スーパー等でレジの横で、買ったものを袋に入れるのを手伝ってくれる店員がいたりする状況は、日本以外では考えられず、こういう心地よさに日本人は慣れ親しみすぎているけれども、これが結局コストを押し上げているという論調だったと思います。
確かに日本では、サービスというと無料ということをイメージしがちですが、なかなか無形のものにお金を払うということが根付いていません。
今年以降、当分外需が期待できそうもありませんので、内需拡大ということが必要だと思いますが、これをきっかけにサービスに対価を払う施策を考え、結果としてサービス産業が盛り上がって、景気対策となるということを考えたほうがよいのではないでしょうか。
我々の業界もその最たるもので、ソフトウェアがそのサービスの質で対価を評価されず、人月でしか決まらないという状況が続いています。
本来は、あるソフトウェアを導入することで、年間これだけのコストを削減できるので、その削減分の何%を対価としていただきましょうとか、あるソフトの導入に関して、次年度以降の売り上げの伸びに応じて、対価を決めるとすると、なるべく短い時間、コストでソフトを開発しようとしたり、その顧客の売り上げに連動するのであれば、どうしたら売り上げがあげられるソフトになるかとか、いろいろな工夫を考えるはずです。
そろそろ人月の世界は、限界だと思うのですが、なかなか変わる気配がしません。
ソフトウェアを売る立場の人間として、これはやっぱり変えていかなければならないことだと粘り強く主張し続けるしかないと思います。
しかし、過剰サービスの国だからこそ、そこから生まれる製品は、そういう厳しい要求をクリアしつづけきた結果なので、世界で通用する部分というものも当然あると思いますので、あまり極端にいくのは、それはそれで問題かもしれません。